なぜ若者は就活で「成長できるかどうか」を求めるのか

若者が成長できるという時のもう一つの意味は、自分の専門能力を築くといった主体的なものではありません。ものすごく受け身的なものです。それは「成長できる職場環境」かどうかということです。

元々、老若男女を問わず、就職する際に職場環境を重視するのは共通しています。人間関係に気遣う社会ですから、誰でも人間関係が悪い職場よりは、和気藹藹としたところで働きたいと思うのは当然です。

今の若者はそれをより強く求めているということです。人間関係だけじゃなくて、その職場にいただけで成長できる。そういう場所で働くことを求めているのです。

この場合の「成長できる」というのは、専門能力といった具体的なものではありません。非常にぼやっとしたものです。おそらく、仕事全般とメンタルを含めた総合的なものを成長と呼んでいると思います。

仕事のやり方を覚えた、仕事を早く処理できるようになった、仕事のスキルや専門知識を身につけることができるようになった、少々のことではへこたれないようになった、打たれ強くなったなどです。

学歴社会から実力社会にシフトした結果

今の若者が厄介なところは、こういうことを主体的に学ぶのではなく、学べたり体験できたりする場を誰かが整えてくれる、あるいは、整えてくれるべきだと考えているところです。「誰か」が誰かと言えば、企業ということになりますが、もっとも身近なところでいえば、上司ということになります。やたらと怒鳴り散らす上司ではなく、様々なことをきちんと教えてくれて自分を成長させてくれる上司がいれば、そこは若者にとって「成長できる職場」ということになります。

どうして、こういう受け身的な考えが出てきたのか?

これも教育環境と社会環境が大きく変化したのが最大の要因だと思います。ただし、これは良い方向への変化であったと、私は捉えています。

バブル経済が崩壊して一流大学→一流企業というモデルが崩壊しました。学歴が大きくモノをいう側面は根強くある一方で、実力主義も声高に叫ばれるようになり、教育業界では「偏差値お得校」という言葉が生まれました。

入学時に偏差値が低かった子供が、卒業する時には偏差値が高くなっているという意味です。本来、教育とはそういうものです。学校で学ぶことによって力がついた。その力で次のステップに進むのがあるべき姿ですし、それによってこそ教育機関や教師の力量もはっきりするということです。こんな当たり前のことがようやく最近、認められだしたのです。

それも先程と同じ理由です。一流大学→一流企業と進み、終身雇用で守られるという世界が崩れ、実力社会となったからです。入学した時の実力をもってして最終判断する学歴社会の影響力が薄れたということです。