自分から希望した異動は一度もなかった
入社から10年後、華房さんは大好きな農業研究から離れ、社の研究全体をマネジメントする「研究計画室」という部署に異動する。会社が農業分野からの撤退を決めたためで、仕事は研究主体のものから企画調整業務へガラリと変わった。
望んでいなかった変化に最初は驚きと寂しさを感じたものの、華房さんはすぐに気持ちを切り替えた。持ち前の好奇心が頭をもたげ、「やってみたら面白いかも」と前向きに考えるようになったのだ。
実際、研究計画室での仕事はとても面白かったという。未経験ゆえに勉強しなければならないことも増えたが、同時にマネジメント経験や他部署とのつきあいなども増え、守備範囲や人脈がどんどん広がっていく実感があった。
以降、研究技術開発に関わる企画部門や事業化推進部門などさまざまな部署を経験し、着実に成長していった華房さん。いずれの異動も自らの希望ではなかったが、どの部署でも指示を待つだけでなく、自分から「これをやりたい」と発案して、面白いと思える仕事をつくり出していった。
「だから結果的に仕事が増えちゃって。忙しい思いもしましたが、やっぱり仕事でも何でも面白いほうがいいじゃないですか。振り返れば、異動が多かったのもよかったかなと思っています。今の私があるのは、自分では思いつきもしなかった組織や業務を経験させてもらえたからかもしれないですね」
仰天した国連の関連機関への出向
それでも、国連の関連機関への出向を打診されたときはさすがにひっくり返ったそう。40代に入ったとき、各企業が共同で持続可能な社会づくりに取り組む組織の日本機関「GCNJ」(グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン)に、会社の代表として参加することになったのだ。
2010年ごろのことで、日本ではまだCSRという概念も一般的ではなかった。先進的な取り組みだったため試行錯誤の連続だったそうだが、さまざまな企業やNPOから集まった人々と本音での議論を重ねたおかげで、幅広い視点を知ることができたという。
これが、キャリアの中での第一の転機になった。いったん社外に出て幅広い人と交流したことで、自社と他社、企業体とNPOなどの違いを身をもって知ることができたのだ。これによって、出向から戻った後も自社を外部の視点で見る癖がついた。これは、現在の社長という職に欠かせない視点でもあるだろう。