森喜朗内閣では「勝手補佐官」を名乗って森首相を応援

高市氏は奈良県で育ち、神戸大学経営学部を卒業した後、松下政経塾に入った。その後、渡米して下院議員の事務所に勤務。帰国後、フジテレビ系列の情報番組のキャスターを務めた。若くから政治家志望であったのは間違いない。

当初は自民党ではなかった。1992年参院選奈良選挙区に無所属で出馬して落選したが、自民長期政権に終止符を打つ93年衆院選(当時は中選挙区制)奈良県全県区で無所属でトップ当選し非自民連立政権に加わった。安倍氏とは初当選同期だ。

非自民連立政権が瓦解すると、高市氏は自社さ連立政権ではなく、小沢一郎氏が率いる野党・新進党に参画した。二階俊博幹事長や石破茂元幹事長と同じく「新進党組」である。新進党が解党した後に自民党に復党した石破氏ら「出戻り組」は長らく裏切り者扱いされた。石破氏が過去4回の総裁選で勝利できなかったのは「出戻り組」への反発が根強く残るからだと指摘する自民党関係者は少なくない。

高市氏は自民党を離党して新進党に加わったわけではないが、1996年末に自民党に入った際は「新進党組」への風当たりを強く感じたことだろう。彼女が身を寄せたのはタカ派の清和会だった。そこで復古主義的な政治信条を強めていく。森喜朗内閣では「勝手補佐官」を名乗って不人気の森首相を応援し続けた。

自民党本部
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小池百合子氏、野田聖子氏とは対照的なキャリア

2003年衆院選では奈良1区で敗れ、比例復活もならず落選。小泉純一郎首相が郵政民営化に反対した自民党議員を公認せず対立候補(刺客)を送り込んだ05年衆院選で、高市氏は奈良1区を捨て、奈良2区の「刺客」として当選し、国会へ戻った。

だが「刺客」のシンボルとして話題を独占したのは現東京都知事の小池百合子氏である。兵庫6区から東京10区へ国替えして圧勝したのだ。小池氏もキャスター出身の新進党組。高市氏より6年遅れで自民党入りして同じ清和会に身を寄せたが、マスコミの注目を集めたのはつねに小池氏だった。

総裁選出馬をめざす野田聖子幹事長代行は高市氏と同じ1993年初当選組。自民党内で早くから脚光を浴び、98年の小渕恵三内閣では37歳で郵政相に抜擢された。小池氏が細川護煕氏、小沢一郎氏、小泉純一郎氏、二階俊博氏ら時々の権力者に食い込んで政界を渡り歩いたとすれば、野田氏は自民党内で野中広務氏や古賀誠氏ら重鎮を後ろ盾にしてきた。男性優位の悪しき政治文化が根強く残る永田町で華麗なキャリアを積み重ねた同世代の女性政治家二人に比べ、高市氏の足跡は見劣りして映る。

高市氏は復古主義的な政治信条を一貫として維持した。大物の庇護を受けてポストを獲得していった小池氏や野田氏とは対照的に、政治信条に徹して政治基盤を築いていったのである。政治信条への共感と上の世代との関係の薄さ――安倍氏が高市氏を見いだした理由はそこにあるのだろう。