現代では「すべてのひとが“自分らしく”生きられる社会の実現を目指す」というリベラルな社会がひとつの理想とされている。しかし、それは本当の理想的な社会なのだろうか。新著『無理ゲー社会』(小学館)を出した作家の橘玲氏は「リベラル化は『評判格差社会』を生み出し、生きづらさは増している。話題の映画『竜とそばかすの姫』は、その視点から読み解ける」という――。
第74回カンヌ国際映画祭でカンヌ・プルミエール部門に選出された細田守監督の最新作『竜とそばかすの姫』
写真=AFP/時事通信フォト
第74回カンヌ国際映画祭でカンヌ・プルミエール部門に選出された細田守監督の最新作『竜とそばかすの姫』

「無理ゲー社会」と『竜とそばかすの姫』の相関関係

細田守監督のアニメ映画『竜とそばかすの姫』では、高知県の田舎町に住む女子高生すずが、インターネットの仮想世界で歌姫のベル(Belle)になり、そこで竜という野獣(Beast)と出会う。

この設定からわかるように、物語はディズニーアニメで有名になった「美女と野獣」を下敷きにしている。

私は新著『無理ゲー社会』(小学館新書)で、世界はますます「リベラル化」し、それが「評判格差社会」を生み出し、生きづらさが増していると論じた。

ここではその視点から評判のアニメを読み解いてみたい(以下、ネタバレあり)。

コクトー版『美女と野獣』は野獣が王子として甦る

「美女と野獣」はフランスの伝承で、それを1946年に詩人・小説家でもあるジャン・コクトーが映像化した。この作品では、主人公のベルは兄の友人にほのかな恋心を抱いているが、破産しかけた父を見捨てることができず求婚を拒んでいる。

橘玲『無理ゲー社会』(小学館新書)
橘玲『無理ゲー社会』(小学館新書)

ベルは父の身代わりとなって野獣の城で暮らすことになるが、父が病に倒れたことを知り、1週間の約束で実家に戻る。ベルから話を聞いた兄と友人は、野獣を殺して宝物を手に入れる計画を立て城に押し入る。

ベルは魔法を使って城に戻るが、野獣は傷心のあまり息絶え絶えで、ベルの腕のなかで死んでしまう。だがそのとき、宝物庫に押し入った兄の友人が石像の放った矢に撃たれて野獣に変身し、同時に野獣が王子として甦る。

その美しい王子は、ベルが思いを寄せていた兄の友人と瓜二つだった。ベルは王子に、「あなたのことをずっと愛していた」と告げる……という物語だ。

ここからわかるように、コクトー版の『美女と野獣』は幻想的なゴシック・ロマンスで、野獣は王子の姿に戻ったことでベルの愛を得る。