女性の権利をイスラム法の枠内で侵害しないなどと“反省”をアピール

タリバンの広報官は「20年前のわれわれとは違う」と語り、女性の権利をイスラム法の枠内で侵害しないなどと“反省”をアピールしている。しかしアフガンの実態は、ドイツ人記者の家族が射殺され、国営放送の女性キャスターは出社を拒否された。本当に反省したかは疑問が残り、早くも20年前に戻りつつある。生命の危険をおかして米軍機につかまって国外脱出を図る国民がいたのも不思議ではない。

この緊急事態に、各国政府は現地の大使館員や自国民の救出に追われ、日本も出遅れたが自衛隊機を飛ばした。そのなかでロシアのプーチン大統領は、今回の事態に軍隊は派遣しないと党大会で述べた。旧ソ連時代のアフガン侵攻で苦汁をなめ、今回のアメリカと同様に惨めな撤退を経験したからだ。

アフガンでは1978年に社会主義政権が誕生し、イスラム原理主義の抵抗から内戦となり、79年にソ連が軍事介入した。89年に完全撤退するまでの10年間に、ソ連は1万4000人以上の戦死者を出した。帰国できても、精神を病んでしまった者が少なくない。

そのアフガンに米軍が長期駐留したのは、2001年の9.11同時多発テロが発端だった。ジョージ・W・ブッシュ大統領の時代だ。ブッシュ政権は「首謀者のウサマ・ビンラディンとテロ組織アルカイダは、アフガンに潜伏している」と断定し、当時のタリバン政権に身柄引き渡しを要求した。タリバンは再三の要求を拒否し、10月にはアメリカ主導の有志連合軍による攻撃がはじまった。

ところが、アフガンでビンラディンは見つかっていない。隣国のパキスタンに脱出していたのだ。最期は、11年5月にパキスタンのアボッターバードで、米軍の特殊部隊によって殺害された。つまり、9.11の報復としてアフガンを攻撃する必要はなかったのだ。

アメリカは中東について、こうした勘違いが多い。イラク戦争では、コリン・パウエル国務長官(当時)が「イラクに大量破壊兵器がある」と国連でウソの演説をしたのも、その1つだ。

アフガン紛争で、タリバン政権は有志連合とアフガン国内の(タジク人のアフマド・シャー・マスード率いる)北部同盟によって倒され、ほぼ壊滅したと見られていた。アメリカと北部同盟による新政権ができ、国連主導で復興計画がスタートしていたのだ。