しかし、稲見本人だけは「絶対に強くなってやる」と決意していた。こんなところで負けてはいられない。「トップに立つ。それも世界のトップに」。しかし、それは奢りでも自信過剰から来るものでもなかった。しっかりとそのときの自分を見据えての決意だった。

そしてその自分というのは「決して私はゴルフが上手くない」。「下手だ」と言う認識だったに違いない。下手だからコツコツと練習するしかない。練習して練習して、「誰にも負けないショットメーカーになる」ということだった。

強気の発言、謙虚なプレー

勉強では自分は頭がいいと思った途端に伸びが止まる。スポーツなら自分が上手いと思った途端に成長が止まる。「自分は馬鹿だ、下手クソだ」と思っている人間はいつまでも伸びる。特に1打1打の積み重ねのゴルフは謙虚な者が強くなる、スコアがよくなることが多い。稲見は発言こそ強気だが、プレーはいたって謙虚だ。それがミスのない正確なショットに表れてくる。

散乱しているゴルフボール
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稲見がショットにこだわるのは、初めてクラブを振った9歳の時から上手くボールを捉えられたからに他ならない。

「空振りをまったくしなかった。振れば上手く当たる。一緒にいた父は驚くし喜ぶしで、ショットが好きになりました。それ以来、ショットでは負けたくないんです」

クラブの真芯でボールの真芯を捉えたときの快感。それは何とも言えない気持ちよさである。こうして単にナイスショットが打てるレベルから、思ったようにクラブが振れて、頭に描いた弾道でボールが飛んで、狙ったところに落ちるという、ボールコントロールにこだわるようになっていった。操縦士が飛行機を操るように、レーサーがクルマを操るように、稲見はボールを自在にコントロールしたいのだ。

「私が理想とするショットの完璧を100としたら、今の私は40。ノーボギーで試合に勝ったときでも、70〜80くらいの満足度です。ほんと、私ってめちゃめちゃ完璧主義者なんです」

稲見を変えた体と腕がシンクロする新スイング

稲見がオリンピックで銀メダルを獲ったとき、キャディをしていたのが奥嶋誠昭コーチ。18年の暮れに出会い、19年から稲見を教えている。奥嶋はゴルフスタジオでレッスンを開始し、18年からツアーコーチとなり、谷原秀人らを指導している。

稲見を初めて見たとき、持ち球はドローボールで、稲見が目指すコントロールができていなかった。ドローボールは飛距離は出るが予想だにしない球も出やすい。奥嶋は稲見にドローからフェードに持ち球を変えることを提案、習得するや一気に球筋が安定し、狙いどころにキープすることができるようになった。

稲見はフェードに変えた自分のスイングを見つめる。

「体と手の動きを同調するように心掛けています。こうすると思ったようにクラブを動かすことができる。フェースの動きをコントロールしやすいんです」