かなわなかった安倍氏の支持
菅首相が不出馬を決断する最後の最後まで期待していたのは、最大派閥・清和会を率いる安倍晋三前首相の支援だった。安倍氏は表向きは菅支持を表明しながら、最大派閥を菅支持でまとめようとせず、「菅おろし」の広がりを待ち望んでいるように見えた。
安倍最側近の今井尚哉元首相秘書官や安倍氏と親密なジャーナリストらは対抗馬の岸田文雄前政調会長の陣営に出入りしていた。安倍氏の取り巻きは安倍氏の本音は岸田支持であると確信していた。
安倍氏が一貫として求めていたのは、菅政権の生みの親である二階俊博幹事長の交代だ。岸田氏は出馬会見で「総裁以外の党役員の任期を1期1年、連続3期までとする」という公約を真っ先に掲げた。5年にわたり幹事長を続ける二階氏への退場勧告であり、安倍氏への熱烈な秋波であった。安倍氏に近い自民党議員たちはこれを機に一気に岸田支持へ傾いた。
菅首相は慌てた。岸田氏の出馬表明の4日後、二階氏に幹事長交代を告げた。政権の生みの親より最大派閥を率いるキングメーカーの意向を優先したのだ。それでも安倍氏は菅首相と距離を置き続けた。菅首相は総裁選を先送りするための衆院解散を画策したが、安倍氏に反対され断念した。安倍側近の萩生田光一文部科学相らを新しい幹事長に起用しようとしたが、引き受け手はいなかった。最後まで安倍氏の支援を得ようともがき苦しみ、それがかなわないと確信して不出馬を決意したのである。
一連の流れは、菅首相が「安倍争奪戦」で安倍氏に恭順の意を示し続けた岸田氏に敗れ、自滅したことを物語っている。さらにそれは菅政権下の最高権力者は菅首相でも二階幹事長でもなく安倍前首相だったことを浮き彫りにしている。菅政権は安倍傀儡だったのだ。
最大派閥を率いるキングメーカー
安倍氏は自民党総裁として2012年末の衆院選で政権を奪還して以降、国政選挙で6連勝し、7年8ヶ月も首相を務めた。これは日本の憲政史上最長である。現在の自民党議員たちは皆、安倍首相のもとで議員バッジを手に入れた。現在の中央省庁の局長以上の大半も安倍政権に登用されている。
安倍政権は官邸に権力が集中し「安倍一強」と言われた。安倍官邸は財務省や外務省など有力省庁に加え、検事総長や内閣法制局長官など政治的中立が求められる人事にも露骨に介入し「官邸支配」を確立した。官邸の意向に逆らう者は容赦なく左遷した。官僚たちは人事権を握る官邸にへつらい、官邸の意向を忖度するようになった。