頑張れ、もう少しでゴールだ。頑張れ、頑張れ、頑張れ!

50メートルのスポーツプール。水中背景のスイミングプール。
※写真はイメージです。(写真=iStock.com/Evgenii Mitroshin)

健常者のように速くは泳げない。しかし、山田の魂がゴールへ体を確実に押し進める。
天使が背中の見えない羽根を動かしているのだ。

魂の泳ぎ。見ているだけで涙が止まらない。泣いてはいけない。山田が頑張っているのに。そう思っても涙が溢れ出る。
  こんな心迫る泳ぎを見たのは生まれて初めてだ。オリンピックの背泳ぎでメダルを獲った鈴木大地や入江陵介だってできない、山田だけの魂の泳ぎである。

小児ぜんそくを治すために水泳を始める

山田は5歳のときに水泳を始めた。小児喘息を治すためだったが、地上とは違い、水の中なら不自由なく体を動かせる。すぐに好きになった。山田を教えることになったコーチの野田文江は「教える私が怖がってはいけない。必ず水に浮くと信じて取り組みました」と言う。

すぐに水に馴染み、「私の腕の中で体を回転させても大丈夫だし、他の子供たちと潜ることも平気でした」。小学2年の時に100mを泳げるようになり、小学4年の時にリオのパラリンピックを見て出場を夢見るようになった。自由形で頭角を現し、背泳ぎに転向してタイムを大幅に更新していく。今年3月には50mで19年の世界選手権銀メダリストと同等のタイムとなり、日本代表の座を確実に射止める。

「水泳は神様が美幸に与えた贈り物です」

野田はそう言うが、此処までの道のりはたやすくなかった。タイムが伸びてきて新潟水泳協会の人たちがパラリンピックの強化選手に指定するも、家族の大きな協力が必要になる。特に山田の障害を考えればプールへの送迎は必須だ。父の一偉は熟考の末に「皆さんとともに、この船に乗ってみようと思います」と山田の背中を世界へと後押しした。19年1月、「美幸丸」の出航が決まったときだった。

美幸という名前に込められた両親の願い

山田美幸の美幸という名は「美しい幸せを手に入れて欲しい。美しい人になって欲しい」という両親の願いが込められている。障害を持って生まれた山田は水を得てまさに美しく幸せになった。「水の中なら障害があることを思わない」と美しい笑顔を見せる。「泳ぐことはとても楽しい」と幸せを満喫する。「美幸丸」は帆を広げ、順風を受けて、全速力で走り出した。