※本稿は、河合雅司『世界100年カレンダー 少子高齢化する地球でこれから起きること』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
人工中絶や避妊手術を強制するほど徹底した「産児制限」
中国が人口減少に転じる流れになったのは、言うまでもなく一人っ子政策の影響である。
中国は1960年代初頭に大規模な餓死者を出した。これは社会主義体制の強化を急ぐ「大躍進運動」のひずみが原因だったのだが、1970年代にかけての中国は、人口の急増とともに食料難が大きな懸念となっていた。一人っ子政策とはその解消に向けて1979年から導入された人口抑制策だ。
「多産多死」から「多産少死」に移行して人口急増に直面した中国政府は、大規模な餓死者を出したという“失政”を取り繕うように「人々の生活水準が向上しないのは、人口の増加が経済成長の果実を帳消しにしているからだ」との理屈を持ち出したのだ。経済発展に向けて、「計画成育を徹底しよう」というスローガンのもとに国家を挙げて産児制限を推進したのである。住民組織を設けて監視の目を光らせ、違反者から罰金を取り立てるだけでなく、人工中絶や避妊手術を強制する徹底ぶりだった。
一人っ子政策に対しては、国際社会から人権侵害との批判が相次いだが、効果はてきめんで、年間出生数は1987年の2508万人をピークとして、20年かけて1000万人ほど少ない水準に達した。2020年は「1200万人」としているので、1987年の半分以下だ。
人口維持には「最低2人の子ども」が必要だった
こうした政策が採られたのには、時代背景が色濃く関わっている。日本でも、1974年に「子供は二人まで」という宣言が採択されたことは本書で紹介したが、一人っ子政策が導入された時代というのは出生数のコントロールに各国が悩んでいたのである。
しかしながら、これは将来、国家を破滅に導く亡国の政策であり、致命的な判断ミスであった。人口を維持するには各夫婦から最低2人の子どもが生まれなければならないからだ。日本のように二人っ子を呼び掛けるならばまだしも、1人に制限してしまったのでは、娘世代の女性数は母親世代の女性数の半分になってしまう。こうした状況を人為的に生み出し、しかも長期間続けようというのだから、一人っ子政策を始めた時点で中国の人口減少は運命づけられたと言ってよい。