ズルをして家康を自分の下にした
ただ、朝廷はものすごく伝統にうるさい組織ですから、秀吉が「自分を朝廷でいちばん偉い人にしてくれ」と申し入れても、どうしても「それには手順がある」という話になる。
秀吉もその手順は、形だけ踏まえる。しかし実際にはズルをして偉くなります。「公卿補任」という、朝廷のいわば紳士録のような、何年に誰がどういう役職に就いていたかといったことをみな記載した記録があるのですが、彼はそれを改竄して偉くなるのです。
記録を改竄して、過去に必要な官職についていたことにして、関白になってしまった。
そして徳川家康には大納言を与えて、「お前は大納言で、俺は関白」という「自分のほうが上」という状況をつくり出した。
ただしこれは会社員の人はよくわかると思うのですが、上司と一般の社員の間に上下はあるとしても、それはあくまで仕事上の関係。もちろん主従関係ではないわけです。秀吉は、自分が天下人となるためには、ほかの大名たちと主従関係を結び家来にする必要があった。
しかし家来になろうとしない家康を懐柔するために、朝廷の序列を取り入れたわけですが、朝廷の序列は会社員と同じ。上下はあっても、主従関係ではない。それをあえて取り入れることで「徳川は並みの大名と違う」と尊重する姿勢を見せつつ、序列を世間に対して可視化したわけです。
もっとも最終的には、ポストだけで家康を懐柔することはできませんでした。手を尽くして外堀を埋め、家康が重い腰を上げて秀吉に会いに行くことになり、正式に会見が行われる。
その前日に秀吉が家康のところへやって来て、彼の手を握って頼みこんだという話があります。
「家康殿、あなたは信長様の盟友だったが、私は信長様の家来だった。だから筋から言えばあなたのほうが格上だ」。ヤクザで言えば秀吉は親分の子分で、家康は叔父貴になるわけですから、家康のほうが格が上なのです。
「そのことは自分もよく知ってる。しかし世のため人のため、平和な世の中をつくるために一肌脱いでくれ。俺はあなたのことを尊重するけれども、明日の会見ではあなたを家来として扱う。よろしくお願いする」と言った。
家康もよくわかっていて、翌日の会見では「秀吉様」と呼びかける。今後は私が戦の指揮をいたします。秀吉様に戦場に出馬するご苦労はおかけしません。秀吉のほうは鷹揚に「おお、家康。これから励めよ」と応える。単なる上下でなく、主従関係が設定されたのです。そんな猿芝居が行われたと伝えられます。
この逸話自体は嘘だったでしょうが、ふたりの微妙な関係性を表す、絶好の話ではあります。
関白というポストに権力はない
そうして秀吉は天下人になりました。しかし秀吉が関白を選んだのはあくまで手段。それに関白になったからといって、なにか権限が手に入るのかというとなにもない。なにも変わらないのです。
秀吉が実力で獲得したものが大事であって、だからこそ皆「秀吉は偉い」と感じている。関白というポストは、あくまで「秀吉の天下人としてのポジションをどういう形で世間に示すか」という意味しかなく、なんでもよかった。秀吉の実質に、関白であることが関与することはなにもないのです。
それがよくわかるのが、秀次事件ですね。秀吉は、自分に子どもが生まれ跡継ぎを授かることをずっと切望してきましたが、ようやく鶴松という子どもが生まれた。しかし大喜びしたものの、2歳で亡くなってしまう。秀吉は落胆し、そしてもはや子どもはできないと諦め、甥の豊臣秀次を後継者に定めた。
それまで後継者候補の1番手が秀次、2番手が後に関ヶ原で西軍を裏切る小早川秀秋だったのですが、もはや秀次を後継者として正式に定め「これから一生懸命やれよ」ということを言って、そうして関白職を譲った。
関白というポストに権限と権力が付随しているのであれば、これで秀次が天下人です。秀吉は引退という形にならざるを得ないのですが、秀吉が生きているのに「関白職を降りた秀吉より、新しく関白になった秀次のほうが偉い」などと受けとめる人は誰もいない。関白職を退いた人を太閤と呼ぶわけですが、秀吉は太閤殿下として天下人であり続けたし、秀頼が生まれると、秀次はあっさり殺されてしまいます。