天下りを支えてきた維新以来の「超幾何学」

――主人公の2人の天下り先は、仕事をしなくても大層な給料と2度目の退職金がもらえる「サラリーマンの天国」のような職場。浅田氏は、そうした恵まれた待遇にしがみついてきたのが団塊の世代で、自分より若い世代はそこに疑問をもつようになっているという。

団塊の世代はオリジナリティに欠ける部分があり、前例を踏襲するクセがある。心の中では、「自分はほかのやつらとは違う」と思っているのだが、学生運動などでは一気に連帯してしまう。2つ、3つ上の世代がシュプレヒコールを上げて、学生運動に熱を上げているのを見て、私は「待てよ」と考えた。私だけではないはずだ。実際、学生運動が急激に衰退したのは私の同世代からだった。

先輩方は、天下り先で自堕落に余生を過ごすことこそが、「ハッピー・リタイアメント」だと自らにいい聞かせてきた。だが、私と同世代である主人公たちは、「待てよ」と考える。法の隙間を縫って、税金で私腹を肥やすことが、はたして許されるのか。カネやポストにしがみつく生活が、本当に「ハッピー」といえるのか。答えは自ずと明らかなはずだ。

――浅田氏は物語を進めながら、天下り組織の成り立ちや仕組みを独自の視点から紐解いていく。そのうえで、天下りには、日本の歴史の中で、必然的に成立せざるをえなかったような面があった、と結論づけている。

天下りという歪(いびつ)な仕組みを、これまで維持してこられたのは、日本が右肩上がりの成長を続けてこられたからだ。

かつて日本の人事システムは「四角形」だった。江戸幕府は、要約すれば老中と若年寄のツートップ制で動いていた。このツートップの下にずらっと横一列に行政組織が並ぶ。官僚は能力に応じて出世するのではなく、原則として職務を世襲する。能力不足の人間もいたが、国際競争にさらされずに済んだため、江戸幕府の「四角形」は非常に安定していた。

しかし明治維新を境に、江戸時代の四角形システムは見直され、欧米流の「三角形」のシステムに改変された。欧米流のピラミッド型の組織論は、ナポレオン時代の軍政によって確立されたものだ。この三角形には「軍人はどんどん死んでゆく」という前提がある。ポストが枯渇する前に、同期はみな戦死してしまうから、年功序列でも組織を維持することができたわけだ。

一方、サラリーマンは戦死しない。ただし会社組織の場合、組織自体が拡大している時期ならば、ポスト不足の問題は起きない。成長一途の時代には、三角形のサイズそのものが大きくなったり、あるいは新しい三角形が別に派生したりするからだ。しかし成長が頭打ちになると、三角形を維持しきれなくなる。この点でとりわけややこしい問題を抱えているのが官公庁なのである。

官僚は終身雇用が保証されている。しかも役所は民間企業と異なり、売り上げや利益といった数字が明らかになるわけではないから、論功行賞の判断が大変難しい。年功序列で出世していくと、自然と上が詰まってしまう。また民間と異なり、降格させることもできない。そうなれば、下界に降りてもらうしかなくなる。

終身雇用と年功序列。この矛盾を解消するために編み出された「超幾何学」。これが天下りの本質なのだ。

※すべて雑誌掲載当時

(小川 剛=構成 芳地博之=撮影)