――『ハッピー・リタイアメント』は、著者にとって7年ぶりとなる長編現代小説である。本作はリタイアという主題を通じて、「21世紀の幸福論」を問いかけている。
<strong>浅田次郎</strong>●1951年、東京都生まれ。95年『地下鉄に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞、97年『鉄道員』で第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、06年『お腹召しませ』で第1回中央公論文芸賞、第10回司馬遼太郎賞、08年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞を受賞。
浅田次郎●1951年、東京都生まれ。95年『地下鉄に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞、97年『鉄道員』で第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、06年『お腹召しませ』で第1回中央公論文芸賞、第10回司馬遼太郎賞、08年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞を受賞。

「ハッピー・リタイアメント」という言葉には、すこし暗い雰囲気がある。反語的に使われることが多いようにも思う。それは理想的といわれるリタイアの選択肢が、「そこまでのカネはない」、もしくは「カネはあるがやることはない」、というどちらか一方しかなかったからではないか。だが、私が望むのは、心から「ハッピー・リタイアメント」といえる時代だ。今回のタイトルには、そういう思いを込めている。

物語の主人公は、定年を数年後にひかえたしがない財務官僚と自衛官の2人だ。2人は、業務実体のない債権保証機関に運よく天下りしたものの、ひょんなことから、「時効の過ぎた債権」の回収に走ることになる。

「時効の過ぎた債権」とは、返さなくていい借金ということだ。法律的には何の問題もない。だから前任者は誰しも債権回収を真面目にやろうとは思ってこなかった。だが2人はノンキャリアのたたき上げという“したたかさ”と“世間知らず”を武器に債権者を訪ねて回る。

巨万の富を築いた者、いまでも借金に追われている者、気前よく返済義務のない借金を返す者、一向に話を取り合わないがめつい者……。官僚の一本道の人生しか知らなかった2人は、時効の過ぎた債権回収という仕事を通じて、さまざまな人生に触れる。その結果、「銭金じゃない」という境地に達することになる。

ハッピー・リタイアメントにとって一番大事なのは「幸福とは何か」ということに覚醒することだろう。お金をためることはそのための手段であって、それ自体は別に幸福でもなんでもない。この本が幅広く受け入れられたのも、その事実が明らかになってきたからではないか。