子孫繁栄のためには財産を使い切れ

――政権交代を果たした民主党の公約の一つが、「天下りの全廃」だった。景気が停滞し、給与カットや雇用不安に直面したことで、天下りにより厳しい眼が向けられるようになったと浅田氏はいう。
<strong>浅田次郎</strong>●1951年、東京都生まれ。95年『地下鉄に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞、97年『鉄道員』で第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、06年『お腹召しませ』で第1回中央公論文芸賞、第10回司馬遼太郎賞、08年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞を受賞。
浅田次郎●1951年、東京都生まれ。95年『地下鉄に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞、97年『鉄道員』で第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、06年『お腹召しませ』で第1回中央公論文芸賞、第10回司馬遼太郎賞、08年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞を受賞。

「天下り」の問題が、いまになって大きく取り上げられるのは、不景気だからだ。

不景気というのは案外、ありがたいものである。景気がいいときは「この好景気は何のせいだ!」とは誰もいわない。不景気だから「誰のせいだ?」と深く考える。それが背景となって、政権交代も起きた。日本社会には、いままで「いいや、いいや」で済ませてきたあやふやな部分がたくさんある。そうした矛盾にみなが気づきはじめたのだろう。

人間は不景気になるとモノを考えるようになる。これまでイケイケドンドンで何も変えてこなかったツケがいま回ってきて、「天下りはおかしいんじゃないか」「憲法もおかしい」という議論が出てきた。「仕事バカ」という人生についても、きちんとモノを考えてみれば、その寂しさに気づけるはずだ。

もう仕事バカはもたない時代になりつつある。私も大概の仕事バカだが、休んだときの切れ方は半端ではない。酒を飲まないやつほど、切れたときは怖いのだ。誰にも「浅田次郎」だとは思われないだろう。まるで別人。ろくでなしのひとでなしである。

もちろん仕事は一生懸命やるものだ。だが、人生それだけでは寂しい。休みのときには何もかも忘れて、ブチ切れて、人格が変わるぐらいの道楽をしないといけない。

江戸時代、年寄りは仕事にしがみつかずにさっさと隠居して、自分の好きな道楽をやりまくった。その結果が江戸文化の開花である。たとえば伊能忠敬が残した「大日本沿海輿地全図」はそのひとつ。道楽の総量が文化をつくるのだ。

道楽とは、自分の好きなことをして、なおかつ消費すること。カネを使うことだ。一生懸命に働いて、天下りをしてまでカネを稼いでどうするのか。子供に財産を残してもろくなことにはならない。美田を残された子供は大体失敗する。資産というのはゼロから築き上げるのがホンモノで、美田を残すのはかえって子孫の力を削ぐことになる。

私のように、仕事と道楽が一致する場合には、仕事を取り上げられたら困るが、そうでないなら、やはり道楽をするべきだ。道楽できっちりカネを使い果たして、そして死ぬ。それが「ハッピー・リタイアメント」への近道である。