道義的責任を被ることの意味とは

――小説のプロローグでは、返済義務のない借金がいかにして回収されるか、詳細な様子が描かれている。回収対象は作家・浅田次郎氏。固有名詞を除き、すべて実話なのだという。

さる公的な金融機関に債務保証をしてもらって銀行からカネを借りたのは30年以上も前のこと。それを元手に商売を始めたものの、銀行に対する返済はほどなく滞って、当該機関が債務を弁済。その後、紆余曲折を経て私は小説家になり、借金はとっくの昔に金銭貸借の時効を迎えていた。ところが当該の保証機関には記録が残っていて、現在の担当者が30数年ぶりに私の居場所をつきとめて、自宅に訪ねてきた。

本当にビックリした。親の仇(かたき)ですら30年も経てばもう来ない。それが「債務は返さなくていいから、せめて書類上の手続きをさせてください」という。先方は私が「浅田次郎」と知ると驚いた様子でカバンから読み止(さ)しの『壬生義士伝』を取り出した。「わー、信じられない。こんなことってあるんですねえ」といわれても、信じられないのはこっちだ。

時効を過ぎて法的には返すべき根拠のない借金だが、私も道義的責任は感じた。税理士に調べさせたところ、名刺に書かれている内容も嘘ではない。結局、借金を返すことにしたのだが、それにしても、「振り込みではなく現金で」というから怪しい。しかも支払い当日に集金にやってきたのはこの前来たやつとは別人。前任者は一昨日定年退職したという。カネを受け取った男も風のように消えた。

いま思い返しても、やられたという感じがする。あんまり悔しいから、小説にして原稿料で取り返してやろうと思ってね(笑)。

――小説では、時効を過ぎた債権回収の仕事が意外な成果を挙げる。浅田氏の例をはじめ、時効の借金を返す人たちが少なからずいたのだ。思わぬ大金を手にした主人公たちは、「ハッピー・リタイアメント」のため、ある決断をする。

私の一番の幸福は脱稿の「了」の字を書いたとき。決して出版社からカネが振り込まれたときではない。ナルシシストのせいだろうか、自分の本を読み返して、笑ったり、「誰が書いたんだよ」などとひとりごちてみたりするのも、最高に幸せである。もっとも私のリタイアメントは当分先のこと。書くことは最大の道楽。まだまだ書き続けていきたい。

※すべて雑誌掲載当時

(小川 剛=構成 芳地博之=撮影)