どちらのパターンを選択するべきか
草むらの音が肉食動物だと考えて、実際はただの風だったら、あなたの予想は間違っており、タイプIエラー(偽陽性)になる。このとき、あなたは殺されることなく、ただ単に逃げることのコストがかかるだけである。換言すれば、あなたは単に慎重で用心深いだけだったということである。
しかし、その逆のシナリオを考えてみよう。つまり、もしあなたは目の前の草むらから聞こえたガサガサという音を、単に風が吹いて草むらが揺れたことで発せられた音だと判断したが、実際には、実はその草むらに危険な肉食動物がいた場合はどうだろうか。
こちらはタイプIIエラー(偽陰性)のシナリオであるが、言うまでもなく、この時、あなたはライオンの餌食にされるだろう。端的にいって、あなたはダーウィン的な自然淘汰の原理によって抹消されることになる。
もしそうであれば、狩猟採集時代において、ヒトの脳はサバンナで歩いていて草むらがガサガサゆれたとき、いかなる形で判断するのが、生き残るうえで合理的であっただろうか。
自然淘汰によって獲得されたパターン化思考
それは10回中9回が単なる風の音だったとしても、毎回ライオンがいると疑って、毎回走って逃げた方がサバイバルのために有利だっただろう。さらにいえば、そうした判断はいちいち意識的・理性的にどうしようと悩んでいたら、時間がかかってしまい、そんなことを考えているうちにライオンに食べられてしまう。
そこで、自然淘汰は我々の脳に、草むらのガサガサという音を聞くと自動的に、ライオンが隠れているという最悪の状況をパターン化して想起させるような仕組みを与えた。これがパターン性と呼ばれる脳のしくみである。
このパターン性はもちろん、狩猟採集時代における草むらの音のみに反応するものではない。すなわち、パターン性があるため、ヒトはしばしば宗教、イデオロギー、陰謀論といった論理性や合理性を欠く言説のなかに何か意味があると考えてしまい、しばしばそれらに夢中になる。
つまるところ、パターン性という脳のしくみが、我々が非科学的な言説に対して意図も簡単に騙されてしまうことの一つの理由なのである。
このパターン性と関連する重要なバイアス――正確にはその一種――がある。それがエージェント性である。