コロナ対策と引き換えに失われたもの

公園遊具使用禁止
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コロナでなくても人は死ぬ。そしてコロナ自粛やコロナ戒厳令でも人は死ぬ。すでに多くの店舗が閉店・倒産を余儀なくされている。その人びとの先行きは? 子供たちの奪われた交流機会や学習機会は、今後一世紀近く彼らの知能にも幸福にも、そしてその生産力にも影響するだろう。去年、一度もまともに大学で講義を受けられなかったぼくの甥っ子たちに、何の影響もないとは言わせない。そしてそれが日本の今後の発展や改善に何も影響しないはずがない。それによる損失は? ついでにコロナでは世界的に出生率が劇的に下がった。そこで生まれなかった子供の命は?

ちなみにコロナ対策委員会の経済学者たちは、本当はそういうのをきちんと計算するべきだった。それを初期の段階で、政治と国民に示すべきだった。このコロナ対策で、どれだけの犠牲が出るんですか? 本当にそれを負担しろと言えるんですか? その判断材料を出すのが彼らの仕事だったはずだ。

ところが彼らの提言は、PCR検査をしろとかいう代物。役立たずのきわみ。その親玉たる小林慶一郎の手記によると、医療やPCRの問題を指摘したら無視されたとか。あたりまえだ。そして彼らがちゃんと仕事をしなかったからこそ、コロナの直接の感染者ばかりが重視され、人びとにすさまじい犠牲と費用を強いる「自粛」だの「お願い」だのが、ズルズルと垂れ流され続けてきた。

老人を守るために犠牲になった若者たち

いま述べたように、コロナ対策とされる行動制約の損失を最も大きく被ったのは、成長期にその様々な機会を大きく奪われた若者や子供たちだ。ぼくのような中年初老の損失は、まあお金で解決できる程度かもしれない。でも若者や子供はそうはいかない。

そして彼らの犠牲により恩恵を受けたのは、どの世代だろうか? もちろん老人たちだ。

コロナは最初、老人が圧倒的に死にやすいから、という話で登場した。だからこそ、老人を守るために非常事態とか自粛とかしましょう、という話になった。

そしてどのみち老い先短い老人を守るために社会全体を犠牲にすべきか、という話が出てきかけると、医療崩壊だという話が登場した。医療の世話になるのは高齢者だけじゃありませんね、若者も使いますね、それが崩壊したらみんなが困りますね、というわけだ。

でも……医療が崩壊して最も被害を受ける人びとは? 高齢者だ。病院にいってごらん。待合室に大量に群れているのはだれ? 高齢者だ。医療費のほとんどを使っているのはだれ? 高齢者だ。