なぜアベノミクスで円高は是正できたか

図1は日本の通貨の基になるマネタリー・ベース(中央銀行のバランスシートの大きさ)を横軸に、米国のそれを縦軸にとって、07年を基準の1として、その後各年にどのように増加してきたかを示したものである。日銀審議委員を務めた櫻井眞氏が、通貨政策の相互依存の例として面白いのではないかと見せてくれた。リーマン危機が始まってから日本で第2次安倍政権の成立する12年末まで、FRBはマネタリー・ベースを3.5倍に増やしている。しかし、白川方明総裁下の日銀は、1.4倍にしただけであった。

そこで図2に見るように、日本の実効実質為替レートは、08年から大幅に高止まりする。単にマクロの実質為替レートを比較するのではなく、価格とコストから競争条件を推定したジョルゲンソン(ハーバード大)と野村浩二(慶應大)の研究によると、11年に日本の輸出業者は、米国製品に対して平均して37%の価格ハンディを負っていたという。

円高による競争条件の高いハードルは、日本の国民経済に大きな損失をもたらした。図3に見るように、リーマン危機の前後で日本の鉱工業生産は、08年から09年にかけて、リーマン危機の震源地の米、英、欧に比較してずっと深い景気の谷間を記録したのである。日本の金融市場に対するリーマン危機の直接的な影響は限られていたはずが、日銀の緩和が不十分だったために生じた円高の日本経済に与えた影響は大きかった。

12年末に安倍政権が成立し、新任の黒田東彦総裁下での13年から14年にかけて日銀は本格的な量的緩和政策に転換した。すなわち、相手国の金融拡大から発生する円高のマイナス効果を自国の金融拡張で相殺する変動制下の最適政策がとられたのである。

図1の示すように、本来はバランスよく右上がりを示すのが当然なのに、金融緩和を躊躇するあまり垂直方向に向きがちだった白川総裁下の金融政策が、アベノミクスによって点線に近づくように右向きに動くようになった。特に、13年から15年の横向きの日銀のマネタリー・ベース政策が円高を阻止し、安倍政権発足からコロナ禍勃発のときまで500万人の新雇用を生むことにつながった。

為替はマネタリー・ベースの比率で見る