ガッツポーズもなく、喜ぶこともなくも、静かに畳を下りる大野。畳の上で喜びを表すのは敗者への思いやりに欠ける行為。敗者に敬意を表すのが柔道の礼儀である。
「準決勝、決勝の延長戦は、これまで感じたことのない恐怖の中で闘っていました。勝ちを拾って来れたのは、実力以外の部分も在ったかもしれません」
敵は自分にあり、自分の心にある
このまま勝負が決することなく、永遠に試合が続き、勝つことはないと思ったのかも知れない。ふたつめの指導を取られたときには、不運によって負けると感じたのかも知れない。リオ五輪の時には「運に左右されない実力によって勝てた」と言った大野が、運が味方したと思えたのだ。謙虚さが大野の柔道をより一層、神がかったものに変えたのだろう。
そうした大野が畳を下り、コーチを見てようやく表情が緩んで笑顔になった。大きく息を継ぎながら、インタビューに答える。まずはオリンピックが開催されたことに感謝した。開催されなければ金メダルを取ることさえ叶わなかったからだ。その思いが滲み出る。
「1年の延期を乗り越えて今日までやって来ました。我々アスリートの姿を見て、何か心が動く瞬間があれば光栄に思います。苦しく辛かったこの1年が報われたとは思いません。まだまだ自分の柔道人生は続きます。自分を倒す稽古を継続してやっていこうと思います」
インタビューを終えて井上康生監督と抱き合った。大野は大泣きに泣いた。苦く辛かった5年の思いがどっと湧き出た瞬間だった。
「自分が何者であるか。確かめるため、証明するために闘うことができました」
敵は自分にあり、自分の心にある。ようやく自分が柔道家であったという実感がつかめた東京オリンピックだった。