相手の応答を否定せず、「疑問文」から入る

「対話的思考」とは、誰しもに「思考の抜け漏れ」があることを想定しつつ、「問いかける」という仕方でお互いにその抜け漏れを補い合う思考パターンのことを指します。対話的思考へと自らの思考習慣をアップデートするためには、論破的思考の特性を見抜き、それを克服しなければなりません。

そこでまずは、論破的思考から脱却するための一番シンプルな原理を解説します。

それは相手に応答する際に、「否定文」からではなく、「疑問文」から入るということです。

議論の場面において、私たちはしばしば相手の発言に違和感を覚えることがありますよね。「なんでこう思うんだ?」、「いきなり何を言い出すんだろう」……などという様に。

こうしたとき、私たちはとっさに「そうは思いません」、「それは違うと思います」などと否定的に返事をしてしまいがちだと思いますが、これは非常にもったいない思考習慣です。

なぜなら、違和感を覚えるたびにいちいち相手を否定するようなことを言っていたら、相手はあっという間に議論する気力を失ってしまうからです。ひどいときには、お互い感情的になって、議論が全く進まなくなってしまうこともあります。これは、議論が進まないという意味でも、時間の浪費という意味でも、全く生産的であるとは言えません。

このように「なぜそう考えたのだろう」と不思議に思ったのなら、否定文で相手を否定する前に、「どうしてそのように考えたのですか?」とそれをそのまま疑問文にして聞き返してみましょう。問いを投げかけられた人は思考を刺激され、「自分の頭で」問題点に気がつくことができますので、いきなり否定されたときよりもよほど穏当な反応を示してくれるようになるはずです。

いきなり相手を否定するのではなく、まず相手に問いかける。これが対話的思考の鉄則です。

このときに最大限注意すべきことは、相手に共感を示しつつ、高圧的に聞こえないような問いかけ方をすることです。

問いが根本になければ真の意味で思考しているとは言えない

ですが、「じゃあなんでも相手に問いかければいいのか」と言うと、そういうわけではありません。

対話的思考は、お互いのことを無批判に肯定し合うだけの思考ではないからです。

対話的思考とは、「問い」を駆使して自他の思考を活性化させる技法です。

「問いを立てる」という思考の営みは、西洋哲学の一分野である「解釈学」においても非常に重要なものです。筆者が研究する解釈学の大家であるフランスの哲学者ポール・リクール(Paul Ricœur, 1913-2005)も、人間の言葉や行動を「テクスト」として解釈することの意義を強調しています。テクストとは、ここでは潜在的な意味作用を内包する人間の働きの痕跡を指します。

リクールの解釈学において重要な洞察は、“すべてのものは解釈を要求する”というものです。私たちは、すべてを見通すような無限の認識能力を持ち合わせていません。世界の在り様や人間の思想を解釈するためには、「この言葉は潜在的には何を意味しているのか?」ということを問い続ける必要があります。ここで求められているのは、繊細に「問い」を重ね続けるという姿勢であり、決して独断的に「世界はこうなっている」と断言する態度ではないのです。

さらに、こうした「問い」を重視する姿勢は、解釈学だけでなく、ひいては哲学の営みすべてにおいて本質的な契機であると言えます。古代ギリシャの哲学者プラトンも、『テアイテトス』という対話篇の中で、「思考」とは「問答」の過程であると述べています。つまり、「問い」が根本に無ければ、真の意味で思考しているとは言えないのです。

相手を言い負かすことだけにこだわる論破的思考では、思考の本質である「問い」を生み出すことができません。