「分断と不信のなかで幕を開ける、異例で異様な五輪」と朝日社説

7月23日付朝日新聞の社説は「五輪きょう開会式 分断と不信、漂流する祭典」との見出しでこう書き出す。

「東京五輪の開会式の日を迎えた。鍛え抜かれたアスリートたちがどんな力と技を披露してくれるか。本来ならば期待に胸躍るときだが、コロナ禍に加え、直前になって式典担当者の辞任や解任が伝えられ、まちには高揚感も祝祭気分もない」

「コロナ禍」「直前の辞任と解任」などに抑え込まれ、開会直前になっても盛り上がらなかったのは事実である。それを冒頭から指摘する朝日社説は、東京オリンピック・パラリンピックの中止の決断を菅首相に求めてきただけはある。

さらに朝日社説は「社説はパンデミック下で五輪を強行する意義を繰り返し問うてきた。だが主催する側から返ってくるのは中身のない美辞麗句ばかりで、人々の間に理解と共感はついに広がらなかった」と指摘し、「分断と不信のなかで幕を開ける、異例で異様な五輪である」と言い切る。

新聞史上、オリンピックを「異例で異様」と表現した社説はこれが初だろう。それだけ朝日社説は東京五輪の開催を断行した菅政権を潰し、革新政権の誕生を願っているのだ。そこで思い出すのが、「3・11」の東日本大震災と福島原発事故における旧民主党政権の大失敗である。革新政権が常に正しいとは限らない。

菅首相は安倍前首相の傀儡であってはならない

朝日社説は政権と五輪の関係をこう振り返る。

「16年大会の招致に失敗すると東日本大震災からの復興を目的に持ち出し、当時の安倍首相は原発事故の影響を『アンダーコントロール(管理下にある)』と国際社会にアピールした。現実を欺くこの演説などで招致を果たした後も、コンパクト五輪構想の破綻、経費の膨張、招致をめぐる買収疑惑、責任者の相次ぐ交代など、運営の根幹を揺るがす事態が続いた」
「理念と説明を欠き、不都合なことには目をふさいで暴走する体質は、コロナ禍が起きても変わらず、一層顕著になった」

朝日社説のこの指摘の通りだ。そんな安倍政権の体質は、いまの菅政権にそのまま継承されている。菅首相は安倍晋三前首相を補佐する官房長官だったからといって菅首相は安倍前首相の傀儡であってはならない。

朝日社説は「五輪といえばどんな無理も通るというおごりと、根拠なき楽観論の行き着いた果てが、『緊急事態宣言下での無観客開催』といえる」とも指摘するが、これにも賛成である。

さらに「この1年4カ月は、肥大化・商業化が進んで原点を見失った五輪の新しい形を探る好機だった。実際、大会組織委員会にもその機運があったという」と書き、問題点をこう挙げる。

「国際オリンピック委員会(IOC)と、その背後にいる米国のテレビ局や巨大スポンサーの意向が壁となって、将来につながる挑戦にはほとんど手をつけられなかった」
「あわせて浮き彫りになったのがIOCの独善的な体質だ。判断ミスを重ねた末に、何とか無観客開催にたどり着いたというのに、バッハ会長は菅首相に再検討を求めた。また、『日本の選手が活躍する姿をみれば、日本国民の感情も少し和らぐと自信を持っている』とも述べ、ひんしゅくを買った」

バッハ会長は日本人を馬鹿にしていないか。かつてバッハ会長もアスリートの1人だったはず。五輪選手として活躍したころを思い出してほしい。

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