為政者の言葉が信用できないと判断した場合、消費・投資を控えて貯蓄を積み上げるという防衛的な行動に出るのが合理的である。英国の例を見ても分かるように、ワクチン接種が進んでも重症者や死亡者は減るが、感染者の根絶はできない。

人口1400万人を擁する首都東京の医療体制が60人程度の重症者で崩壊する(らしい)現状を打開しなければ、日本だけ半永久的に経済活動の抑制を続けざるを得なくなる。医療資源の最適配分という話はどうなったのだろうか。

完全に“アテ”がはずれた日本の軽微な行動規制

日本は欧米と比べて感染状況が軽微だったこともあり、緩い行動規制が慢性的に継続してきた。これはグーグル社の公表する「COVID-19 Community Mobility Reports」を見ると良く分かる。

パンデミック以前よりも著しく行動制限されていた時期に目をやると、その期間や深度のいずれをとっても欧米ほどではなく、日本では総じて「日常が続いてきた」ように見える(図表2)。

各国の移動傾向(食料品店・ドラッグストア)

にもかかわらず、冒頭見たように、マクロ経済全体で見れば、「民間部門の貯蓄過剰」が積み上がり、政府部門が必死でそれを穴埋めし、「ワニの口」が拡大している。軽微な行動規制は景気に配慮した政策でもあったはずだが、完全にアテが外れた格好である。

こうした状況に関して「軽微な行動規制が感染収束を妨げ規制が却って長引いた」という批判をよく見かけるが、筆者は腑に落ちない。

欧米は日常を取り戻した今ですら緊急事態宣言下の日本より感染状況が桁違いに悪い。例えば人口10万人当たりの感染者数(7月10日時点)は米国が1万225人、英国が7524人であるのに対し、日本は648人である。

軽微な行動規制のせいで日本の感染状況だけが悲惨ならば、中途半端な政策が収束を遅延させているという批判も当てはまるし、それで「民間部門の貯蓄過剰」が積み上がるというのも分かる。だが、事実は異なる。

ちなみに、米国も「民間部門の貯蓄過剰」がいまだ続いてはいるが、ピークはあくまで2020年4~6月期であり、年間を通じて一方的に貯蓄が積み上がり続けるという状況にはない。

「貯蓄は正義」という日本人の防衛本能

結局、「軽微な行動規制が感染収束を妨げ規制が却って長引いた」ことが問題なのではなく、その都度割り当てられる軽微な行動規制に一貫性がないことが問題なのではないか。例えば「学校の運動会は駄目だが、五輪は可能」「満員電車はOKだが、飲食店の席は間引け」といった状況を合理的に説明できる者はいないだろう。