「こんなに大きな国となぜ戦ったのか」
金井さんが語ってくれた体験も特異なものだった。
硫黄島の戦いが終結した後も坑道で1カ月ぐらい身を潜め続けたが、飢えと渇きが極限に達し、やむなく外へ出てアメリカ軍を捜しに行き、ジープを発見したところで倒れたという。殺されると観念したが囚われの身となり、グアムおよびハワイを経由してアメリカ西海岸のサンフランシスコへ連れていかれた。
そして、モンタナ州とユタ州の収容所へ陸路で向かった。鉄道に揺られること数日間。果てしなく広がるアメリカ本土の大地を車窓越しにながめながら、金井さんは、「こんなに大きな国となぜ戦ったのか」と自問自答を繰り返したという。
戦後に帰還するまでの1年未満の虜囚生活でも、虐待などは受けなかったそうだ。自問自答はやがて太平洋戦争そのものを「間違いだった」ととらえ、「二度と繰り返してはいけない」という不戦の誓いに変わっていった。
金井さんの中に芽生えた複雑な「愛国」
金井さんは、戦争を体験した他の日本人と同じように、自分と自分の戦友を勝ち目のない戦争へ行かせた日本政府への「愛国」を疑うようになった。
これは、日本に対しての愛情がなくなったという意味ではない。金井さんが拒絶したのは、日本の戦時中の「愛国」、つまり政府や軍隊が主導する国家への煽動的な忠誠心である。多くの日本人が国を愛せと言われ、政府のいうことに従順に従ってしまったから、日本という国は、310万人もの日本人が犠牲となった太平洋戦争という大惨事に遭ったと彼は考えていたようだ。
金井さんは、もう二度とその愚かな間違いをしないと決意し、戦後ずっと国家や政府による「愛国」を否定してきた。一方で、日本への愛情は強かった。彼の愛国は、その犠牲となった戦友たちへの想いにより表現されていた。
表面的に見ると矛盾に見えるかもしれないが、決してそうではない。戦争を起こした国家と、戦争で犠牲となった若い兵士たちを区別している。戦争を起こした権力者への愛国は拒絶するが、国のために命を失った戦死者たちの愛国心を尊重する。
戦勝国アメリカとの大きな違い
今思い返しても、だれもが愛国について金井さんと同じような思いがあった。愛国心は政府に利用されやすいから、その気持ちを警戒するようになった、と語ってくれた。自分の国に対して誇りを持っているが、戦時中の極端な愛国に対しての反省が感じられた。
戦争を体験した世代が特に嫌がっていたのは、他の人の前で国への愛情を訴えることだ。教訓の一つとして、愛国を公的な場で表現することを拒絶するようになった。