この大量の資料を圧倒的なスピードで読み終えた出来事は、ちょっとした伝説になったのですが、これは得意の一知半解の手法を実践したからであります。
種明かししますと、じっくり読み込んだのは3分の1程度でした。
私がこれまで培ってきたフレーム・オブ・リファレンスの力を借りれば、残りの3分の2以上はそれまで読んだ3分の1のどれかに書かれてあったことの繰り返しが多く、さらっと流し読みをすれば十分であることは明らかでした。
その中から新しい事実だけを読み取れば、本質的な理解を得ることができたのです。実際にその後のプロジェクトにおいては、知識不足を感じることはありませんでした。
わからないところはわからないままとして、築いてきたフレーム・オブ・リファレンスの力でうまく「でっちあげる」ことで、私は人工知能のスペシャリストを気取ることができ、その後のキャリアの足がかりとすることができました。
「ツキの村上」と呼ばれるワケ
1986年には、DEC米国本社の人工知能技術センターに出向を命ぜられて、5年間、さらに人工知能分野の識見を深める幸運にも恵まれました。これよりだいぶ後に、私はグーグルの副社長兼日本法人社長に選ばれるわけですが、その理由は、人工知能に関わった仕事をしていたことが大きかったようです。
とはいえ、ミスターAIの異名はすでに過去の話で、私がグーグルに呼ばれる頃には、正直、さらに発展を遂げていた「自然言語処理」「機械学習」や「ニューラルネットワーク」といった、最新の人工知能技術にはついていけていませんでした。
しかしグーグルCEOのエリック・シュミットは、私を雇うときに、私に次のようなことを言いました。
「自分も人工知能の最先端技術はわからない。けど、ノリオならわかったフリができる」
これも、私が「でっちあげ」の技術を磨いてきたからこそ、得られた抜擢だったということです。人工知能やコンピュータの黎明期から、その業界に在籍していた私は、グーグルの若いスタッフたちの中にあっても一目置かれ、知識と経験を持つ年配者として、グーグルの事業拡大にいくらかの貢献ができたかな、と感じています。
私のキャリアを眺めて、多くの方が、私のことを「ツキの村上」と呼んでおられます。私自身も「運がよかった」「ツイていた」から、ここまで来られたのだと思っております。
しかしそのツキを引き寄せるために、就職後もたくさんの本を読み漁り、知識を溜め込み、フレーム・オブ・リファレンスの形成と拡張を続けてきたことは、欠かせなかったと確信しています。これらがあればこその、このツキ、この経歴、なのでしょう。