海外を見てみれば、アメリカは判例主義で不文の慣習法文化があるから、わざわざ憲法に緊急事態条項は設けていないが、国家緊急事態法をしっかりと定めている。今回のコロナワクチンの接種を迅速に進めるために、薬剤師免許しか持っていない人にも注射を打たせるといった柔軟な対応ができたのは、この法律を発動したからだ。日本と同じ敗戦国で、同様に緊急事態条項が濫用されてナチスを生んだドイツでさえ、憲法(ドイツ基本法)に緊急事態条項がある。もちろん、2度とナチスを生まないような条文になっている。

日本国憲法にはどこを探しても、緊急事態に関する規定がないから、コロナ対策では欧米のような強制力をともなうロックダウンができず、国民には自粛をお願いすることしかできない。医者の協力を仰ごうにも「当院にはベッドは十分ありますが、コロナ患者は受け入れません」と言われたら、政府はなすすべがないのだ。

たしかに、憲法に緊急事態条項があれば、パンデミック対策の場合は役に立つだろうと私も思う。一方で、いまの緊急事態宣言の乱発ぶりを見れば明らかなように、政府が緊急事態条項を濫用し、再び「国家の暴走」が始まるのではないかという懸念も拭えない。そういう意味で、緊急事態条項を設けることは諸刃の剣だともいえる。

9条の議論は意味がないワケ

なぜ日本国憲法は75年も改正されていないのか。日本は第2次世界大戦の敗戦国であり、憲法はGHQから「守れ」と押しつけられたものだから、意図的に変えてはいけないと考える人が多いだろう。しかし、同じ敗戦国でもイタリアは16回、ドイツにいたっては六十数回も改正している。時代も社会情勢も経済環境も技術も大きく変化する中にあって、憲法を変えてはならないという発想そのものがおかしいのだ。

日本では憲法改正というと、すぐに護憲派と呼ばれる人たちが出てきて、「わが国が戦後75年間平和でいられたのは、平和憲法のおかげなのに何をいうか」と目を吊り上げるが、事実はまるで違う。日本が敗戦から今日まで平和を享受できているのは、世界一の軍隊と核兵器を持つアメリカに守られているからであって、平和憲法があるからではない。それなのに日本ではインテリ層ほど、“朝日新聞的戦後民主主義”というイデオロギーに毒されてしまった。そんな彼らが(今はすっかり衰退してしまった)左派政党とともに、一大護憲勢力となって、これまで憲法改正をさせなかったのだ。