「エンジン屋」としてのDNAがホンダの成長力だった
「エンジン屋」がエンジンを捨てる――。ホンダが2040年までに世界で販売する四輪車のすべてを電気自動車(EV)と燃料電池車(FCV)に切り替えると発表したのは、4月23日のことだった。
戦後生まれのホンダが、後発ながら世界的な四輪車メーカーに上り詰めた原動力は、創業の原点であるエンジンにあった。
二輪車メーカーから四輪車への進出。参戦・撤退を繰り返した世界最高峰の自動車レース「F1」に対するこだわり。1970年代に世界で最も厳しい排出ガス規制とされた米国の「マスキー法」(大気浄化法)をクリアした低公害エンジン「CVCC」の開発……。
そのどれをとっても、時代を先取りした創業者、本田宗一郎氏のフロンティアスピリットが息づいている。いわばエンジン屋としてのDNAがホンダの成長力だった。それをかなぐり捨てる「脱エンジン」の宣言は半端なことではない。
脱エンジン宣言はトヨタ自動車に対する先制攻撃か
ホンダの発表した方針には、エンジンで発電しモーターで駆動するハイブリッド車(HV)は含まれていない。額面通りの「脱エンジン宣言」である。二酸化炭素(CO2)を少しでも出す新車の販売を一切やめる戦略を打ち出したのは、日本の自動車メーカーでは初めてであり、HV車にはまだこだわりがあるトヨタなど同業他社には桁違いのインパクトだったに違いない。
もちろんホンダの決断は、失敗すればすべてを失う「オール・オア・ナッシング」になるかもしれない。しかし、現在、世界の自動車大手は脱炭素を突き付けられている。ホンダはいち早く、そうしたディスラプション(創造的破壊)への挑戦を明らかにしたともいえる。
ホンダが「脱エンジン」を発表した4月23日は、4月1日に就任した三部敏弘新社長の就任会見であり、マスコミ・デビュー戦だった。三部社長はマツダのお膝元である広島大学で内燃機関の研究に明け暮れた根っからの「エンジン屋」だ。
その三部社長が会見で「2050年にホンダのかかわるすべての製品と企業活動を通じて、カーボンニュートラルを目指す」と表明した。これは菅義偉首相が昨年10月の臨時国会で表明した「2050年にカーボンニュートラルを目指す」という宣言への、ホンダとしての覚悟を示したと同時に、HVで電動車市場を切り開いてきたトヨタ自動車に対する先制攻撃にも映る。