なぜほかの選択肢が目に入らないのか
今は、企業が人材を募集する際に性別を明記してはいけないので、表面的には男女ともどちらの職種にも応募できるようになっています。しかし、男性は以前と変わらず総合職に応募するのが「普通」で、一般職を希望する人はほとんどいません。
これは、やはり男性は「生涯にわたって働かねばならない」という思いが強いせいだと考えられます。将来は結婚して家族を養うことを前提に、それだけの収入や昇給が見込める職種に就くべきだと思い込んでいるのです。
これは思い込みというより、何も考えていないと言ってもいいかもしれません。ひたすらにそこへ向けて歩んでいるだけで、それが自分に合っているのかどうか、本当にそうした生き方を選びたいのかどうかは考えていない──。人生にはほかの選択肢もあるのに、まるで目に入っていないように見えます。
男性に何も考えさせない日本社会
男性一般職が少ないのは、それを選択する男性が少ないからで、その原因は「男は家族を養うべき」という思い込みにあると言えるでしょう。しかし、無理して自分一人で養おうとしなくても、今は共働きという選択肢もあります。なのに、日本社会の思考も男性自身の思考も、なぜか「養うのは男の責任」というところで止まったままなのです。
これは常々感じていることなのですが、日本社会は、男性に何も考えさせないことで回る仕組みになっているように思います。毎日満員電車に乗って通勤し、家族を養うために人生の大半を仕事に費やす。楽しい生き方とは言いがたいのに、なぜこれが「普通」になってしまっているのでしょうか。
日本には、男性にこうした生き方に対する疑問を持たせない仕組みがあるような気がします。例えば、多くの男性は小さい時から暗に「競争に勝てないと幸せになれない」と言われて育てられます。すると、自分が何をしたいかよりも、他者に勝つことを優先する思考がつくられてしまいます。なぜ働きたいのか、なぜ出世したいのかは考えず、「勝つこと」が習慣になってしまうのです。