世界全体の同性愛観は「全般的な寛容化」というより「二極化」

さらにこの散布図で注目すべきなのは、2010年期から2017年期にかけての変化の様相についてである。すなわち、各国が45°線より上にあるか、下にあるかで上昇、下落を判定すると、もともと許容度の高い欧米先進国ではおおむね上昇しているが、もともと許容度の低い途上国や日本以外の東アジアでは許容度が横ばいか下がっている国がほとんどである点が目立っている。

つまり、世界の同性愛許容度は、全般的に上昇しているのではなく、むしろ、二極化しているのが実態なのである。

日本も欧米先進国並みに上昇しているので、どうしても許容度の高まりが世界的傾向だと思い込みがちなのであるが、それは欧米先進国の傾向であるにすぎないことを忘れるべきではなかろう。

『ザ・ホワイトタイガー』というインド映画(2021年)は、起業家である主人公が、中国の首相に語り掛ける次のようなナレーションではじまる。

「世界の未来は黄色と茶色の人間のものです。かつて世界の主だった白人は男色と携帯電話とドラッグで自滅しました。インドの真実を無料でお教えしたいので、今から私の半生を語ります」

ここで黄色と茶色は中国人とインド人を指している。躍進する中国やインドの同性愛への見方はこんなものだろう。

同性愛への許容度の高まりは世界的トレンドではない

同性愛に対する見方の二極化は、世界的にだけでなく、国内的にも生じている可能性がある。米国では民主党対共和党、あるいは北部と南部の対立として二極化している。わが国でも、自民党対野党の考え方の対立、あるいは図表2で示したような男性若年層の独自傾向のようなかたちで二極化が進んでいる可能性がある。

同性愛への許容度の高まりを当然の世界的トレンドと見誤るととんでもないところで足をすくわれることになるかもしれない。例えば、日本人はうっかりすると途上国から欧米のまねをするだけ底の浅い国民と見なされてしまうだろう。

最後に、同性愛に対する見方の個人的見解について述べておこう。

同性愛に対する倫理観については単に人権意識の向上という観点からだけで議論するのは間違いであり、むしろ、生殖にむすびつかないからといって本当に同性愛が自然に反した性向かどうかをもっと根本にさかのぼって認識すべきだろうと私は思っている。

そもそも異性愛自体が自然に反した人類固有の性向なのであり、同性愛はその派生物にすぎないという理解が肝要なのではないだろうか。人間のペニスや乳房は生殖には不必要なほど巨大であり、そうした生理的な基礎の上で文化的に生じた異性愛も生殖のためというより、生き残るために不可欠な平和で安定的な集団形成の手段として人類に固有に備わったものと考えれば、異性愛を求めておいて、何も同性愛だけ差別する根拠はないと見なさざるを得ないのである。

こうした見方が一般的に広がっていけば、同性愛への世界的な対立や国内対立は、いずれは溶融していくのではないだろうかという希望的観測を私は抱いている。

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