そこで均衡財政論者は、財政の無駄遣いを防ぎ、そしてインフレを防ぐために、財政均衡の目標を国民のために掲げているのだと主張するであろう。しかも民間企業や家計と同じように、政府も債務超過になったら困るという論理は、一般国民に常識的な説得力があり、内外の多くの学者もそれを一般的な真理であるかのように認めてきた。

財政赤字は悪という歴史的誤解

歴史を振り返ると、封建時代の専制君主には、歌劇「フィガロの結婚」の伯爵が望んだような特権などが存在したといわれている。その中でも、自分で通貨を発行できることは極めて重要な特権であり、通貨発行権は特に「領主権(シニョリッジ)」と呼ばれているほどであった。

読者が小切手を書けばそれが通貨として通用する世界を想像してみよう。読者にとっては予算制約がなくなる素晴らしい世界であろう。

そこで封建領主は自分の勝手な目的のために支出をして、それが課税でまかなえなくなると、通貨を発行ないし通貨の改鋳かいちゅうをした。通貨改鋳がいつも悪いわけではなく、時には適度の景気刺激になって民間が潤うこともあった。もちろん、当然増発によって通貨の供給が行きすぎると、インフレになることもあった。

MMTの説くように、民間の企業や家計のように、少なくとも将来に向けて政府予算をバランスしなければならないというのは誤りで、それは政府に、そして国民に不必要な制約を課すものである。しかし政府に、インフレにならない限り予算の累積赤字は許されるなどと言ってしまうと、政府の予算執行が野放図になってしまうので、一般市民にわかりやすく、「政府は財政収支を守れ」というのが安全のための知恵だったのかもしれない。

古事記』『日本書紀』には、5世紀ごろ16代天皇だった仁徳天皇の「民のかまど」の話が記されている。これは財政規律と国民の生活について深い洞察を与えてくれる話である。

仁徳天皇は即位して間もなく民の生活ぶりを見ようとして高い山に登ってみると、民家からかまどの煙がほとんど立ち上っていなかった。そこで天皇は、民が貧しい生活をしていることを知り、租税や労役を3年間だけ免除した。その間、公租収入が入らなかったので、宮殿の茅の屋根さえ雨漏りするようになった。

さて、3年たって、ふたたび山に登り民家を眺めると、今度はかまどの煙が立ち上っているのを見て天皇は満足されて次の歌を詠んだという。

「高き屋に 登りて見れば けむり立つ 民のかまどは にぎはひにけり」

臣下は、では租税や労役を課しましょうと進言したが、天皇はそれに従わず、その後さらに3年、公租を徴収しなかった。