財政出動と減税が現代日本を救う

仁徳天皇は、このような心遣いで人々から「聖帝」と呼ばれ、のちには大規模な灌漑事業──バイデン米大統領の大規模インフラ計画を思い起こさせる──を行った。現在その巨大な前方後円墳が堺市に残されている。

現在、コロナで国民が苦しんでも、将来の政府の財政赤字を心配して救いの手を伸ばさないという考え方がある。しかし、政府の財政収支を気遣うあまり、現在苦しむ人を助けず、子どもの教育投資を怠って、生産力のある人的資本を残さないでもよいのかという問いに対して、仁徳天皇の逸話は重要な教訓を与えてくれる。政府の借金は外国に対する借金が残らない限り、政府と民間の間の貸借関係にすぎず、国民全体の福祉とは関係がないのである。

ただ、MMTは十分注意して使わないと危ないこともある。社会が今のようにデフレで困っているときに政府の予算制約を外すということは、ゼロ金利下の金融政策だけでなく、財政支出を併用せよ、さらにはむしろ財政が主役となって金融が追随せよということになる学説なので、20年来デフレ基調の続いている日本経済の時宜にかなっている。

しかし、経済学者としては副作用の可能性も指摘するのが正直であろう。インフレが始まると、どこかで国民の期待が今までの長いデフレの期待からインフレの期待に急転することがありうる。そこで金利一定の下で貨幣供給を続けると、インフレが止まらなくなる恐れがある。そのような際には、かつて米連邦準備制度理事会のボルカー元議長が行ったように急速な利上げを速やかに行う必要がある。中央銀行が受動的な名目金利一定の金融政策から離れて、能動的なインフレ退治の主体にいつ変わるのかを、MMT論者はより真剣に考察する必要があると考える。

私が内閣官房参与(当時)として安倍首相(同)に最後にお会いしたとき、「ある程度危険なことのある学説(MMT)でも、ちゃんとその意味を配慮して使えば国民の役に立つ」と申し上げたら、山口出身の首相から「ふぐも調理師がうまくさばけば国民が喜ぶということだね」というお返事が返ってきた。

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