読めない原因がどこにあるのかを問う

上記にも関係しますが、難しい本を読めないというとき、「読めないからこの本はくだらない、価値がない」と断じる態度には感心しません。

否定したい気持ちを自分の心にとどめておくだけならまだしも、中には、堂々とネットのレビューで悪態をつく人もいます。たまたまその種の評を目にすると、「面白くなかったのかもしれないけど、そこまで言わなくてもいいのに」と思ってしまいます。

難しい本に出会ったときには、すぐに遠ざけたり否定したりするのではなく、まずは「なぜ難しく感じるのか」を探ってみましょう。難しさの正体を見極めるのです。

ごく単純化すれば、難しさの理由は「自分が悪い」と「相手が悪い」という観点から分類することも可能です。周りの友人が全員読解できているのに、自分だけ読解できない場合は、自分の読解力が足りない、勉強不足だと考えられます。つまり自分が悪いのですから、読み解くための努力をすればよいわけです。

もちろん、相手が悪いケースもあるでしょう。本当はやさしく書けるのに難しく書いているのは、書き手の怠慢です。しかし、この場合も批判するのではなく、寛大な心を持ってほしいのです。

「しょうがない。ちょっと自分が頑張って読み解いてあげよう」

このような気持ちで、自分から歩み寄ってほしいと思います。

本を読んだらアウトプットする

先述したように、大学に入ったばかりの新入生に、授業で『方法序説』『ツァラトゥストラ』『罪と罰』といった古典を読んでもらうという取り組みを行っています。目標は、読んだ本の要旨が言えること。そして、重要な箇所は引用できるようになること。

さらに、引用した文章について解説ができることです。

具体的には、自分が気に入った箇所を6つ選んで引用し、なぜ重要だと思ったのかを、自分のエピソードを絡めてまとめてもらいます。A4一枚のレポートにまとめたら、それを学生同士で発表し合うことにもチャレンジしてもらいます。

そうすると、完全に学生の頭の中で『ツァラトゥストラ』が定着し、「ツァラトゥストラを読破した」という実感が得られます。ポイントは、ただ理解するだけでなく、理解した内容をアウトプットすることです。アウトプットを前提にすることで、しっかり理解しようとする意識も働くようになります。

難しい本を読み終わったら、せっかくなのでアウトプットをしてみましょう。

まずは、勉強した内容について、その日のうちに周囲の人に話してみます。付け焼き刃と言えば、その通りなのですが、とにかく臆せず、ちょっとくらい自信がなくても発信することに意味があります。