いまだにソニーを支えている盛田時代の“遺産的事業”
【田原】僕は盛田とは何度も会っているんだけど、盛田は終始僕に「ソニーは世の中にないものを作ろうとする。これがソニーだ」と言っていた。盛田の考えというのは、とにかく技術主義で、ないものを作る。ここにこだわりを持っていた。
【冨山】そうなんです。ところがですね、盛田さんもデジタル革命の最初のほうしか見届けることができず、1999年に亡くなっています。でも、盛田さんは変化への期待を込めて出井さんを抜擢していたと思います。盛田さんは時代の変化を先読みしていて、その証拠にコンテンツを作ることができるコロンビア・ピクチャーズ・エンターテインメントを買収しています。
ハードからソフトへ、アナログがデジタルにシフトするということは、むしろ盛田さんが先鞭をつけているんですね。いまだにソニーを支えているのは、盛田時代の投資であり、その意味では遺産的な事業で、やっぱり盛田さんというのはすごい人なんです。けれども、そこは盛田さんが創業経営者だったということも大きい。日本の場合は創業経営者が、右に行けと言えば皆が右に行きますから。
「次のウォークマン」を求めて衰退したソニー
出井さんはサラリーマン経営者、雇われ経営者なのでそうはいかなかった。盛田さんがもうちょっと元気でいてくれて、出井さんのデジタル・ドリーム・キッズというのを現実のものになるまで改革をやる、出井を支えると言えば相当厳しい変革になり、恩恵を被らない人も社内に出てくると思いますが、それでも改革は早期に実現したと思います。
アメリカはCEOに絶大な権力が制度的にも集中していて、だからこそ結果が出なければすぐにクビになり、あらゆる責任を負うということになっています。出井さんもCEOを名乗っていたけど、それはあくまで日本的な文脈で、実態としては社長の言い換えでしかありません。
OBを含めたソニーの社内の空気というのは、2010年代もずっと次のウォークマンを目指そうというものでした。ハードウエアで、世界中でバカ売れする商品が出てこないのは、ソニーらしくないという願望です。ソニー全体が、「幸せの青い鳥」をずっと探していたことで大きく後れをとってしまった。