「私の不徳のいたすところ」の一言が持つ力

たとえば選挙に立候補して落選した候補者がよく口にするセリフが「すべて私の不徳のいたすところでございます」だ。

田端信太郎『部下を育ててはいけない』(SB新書)
田端信太郎『部下を育ててはいけない』(SB新書)

本来、選挙の敗北は候補者1人に責任があるわけではない。たくさんの支援者がいて、運動員がいて、支えてくれる政党などもあるだけに、たとえば政党のイメージが良くなかったとか、運動員が思うように動いてくれなかったなど、さまざまな理由があるはずだが、選挙結果が出たあとに、そんなことを言ったところで何の意味もない。誰も得をしないからだ。

だとすれば、関わってくれたすべての人への感謝の意味も込めて、「すべて私の不徳のいたすところでございます」の一言で「私の責任」を強調した方がいい。そうすれば、周りも「君はよく頑張った、俺たちにももうちょっと、何かできることがあったかもしれないな」と慰めてくれるはずだ。

「わかりました」と受けて、実は何もしないでおく

ある国会議員の秘書を務めた人曰く、支持者からの依頼は、結構ヤバめなものも含めて基本的にはすべて受けるという。もしここで「そのようなものは受けられません」と正論を振りかざすと、途端に議員のイメージが悪くなってしまう。だから、一旦は「わかりました」と受けて、実は何もしないでおく、という手法だ。

中には当然、支持者の要望がかなわないこともある。そんな時には支持者を前に「今回は私の力不足でした。ただひとえに私の責任でございます」と自分の責任を強調して伝える。すると、最初は怒っていた支持者も後ろめたさがあるだけに、それ以上は言わなくなるという。

このように謝罪1つとってもいろんなやり方があるし、「申し訳ありませんでした」だけが能じゃない。その場その場に応じた適切な言葉の使い分けと、八方に目配せと気配りした演技力が重要だ。

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