1980年代の日本では、サラ金による過剰な借金が問題となり、自殺者数は戦後最悪を更新した。東京大学大学院の小島庸平准教授は「サラ金パニックで自殺したのはほとんどが男性。家族を助けるために生命保険をかけて自殺していた。そこには『潔い日本男子』というようなジェンダー規範を見てとれる」という――。

※本稿は、小島庸平『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(中公新書)の一部を再編集したものです。

気分の悪い男女
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サラ金問題と並行して増加した自殺者数

前章で見た1980年代初頭のサラ金各社の急激な融資残高の拡大は、再びサラ金パニックを引き起こした。第1次サラ金パニック(1977~78年)と区別して、第2次サラ金パニック(1981~83年)と呼ばれている。

被害の実態に特に大きな差はないが、第2次サラ金パニックでは、過剰な債務を背負って人生に行き詰まる人びとの存在がより明瞭に可視化された。それを端的に表しているのが、自殺者数の傾向的な増大だった。

図表1には、戦後の自殺者数の推移を掲げた。自殺者数は、高度経済成長期にいったん減少したものの、1970年代に入ると増えはじめ、1979年には再び2万人を超えた。1983年には2万5000人を超えて戦後最悪を更新しており、サラ金問題に伴う経済苦が増加の一因だった(『朝日』1984年4月3日付朝刊)。

図表2は、1983年前半のサラ金苦を原因とする自殺や心中に関する報道をまとめたものである。その内容は「会社員夫婦がサラ金の借金を苦に二児を道連れに排ガス心中」、「息子の借金を苦に両親が首つり自殺、息子の会社員も半日後に自殺」など、悲惨と言うほかないものだった。

本章では、貸金業規制法の立法作業が一向に進まない中で引き起こされたサラ金パニックの実態を、利用者とサラ金社員の両視点から明らかにし、それを踏まえて貸金業規制法の制定過程とその影響を検討したい。