転院先の医療施設で母親は相部屋のボスにいじめられた
2005年に入り、白石さんは近所の人と兄嫁、そして母親から向けられる悪意に押しつぶされそうになっていた。
そんなとき一筋の光が差す。4カ月前に申し込んでいた長期療養型の医療施設から、「空きが出た」という連絡が来たのだ。
その病院は遠いため、転院すれば近所の噂話からは逃れられる。だが母親は嫌がるだろう。白石さんは悩み、主治医に相談すると、「そら、そちらに移ったほうが良い」と賛成してくれた。
「向こうに行ってみて、嫌やったら帰ってきたらええやん」
精神的に限界だった白石さんは、渋る母親にこう言って転院を促した。
2005年2月。転院先で母親は、同室の他の3人に挨拶もせず、間仕切りのカーテンを締め切り、拗ねていた。すると母親は、同室の“ボス”からイジメを受け始めた。
「少し物音を立てただけで『うるさい』と言われたり、嫌味を言われたりしたようですが、娘の私でも、母の被害者ヅラには腹が立ちました。私は自分を守ることを優先し、イジメ問題は放置しました」
結局、イジメに看護師が気付き、ボスが転院させられて解決。白石さんは、帯状疱疹と顔面麻痺の治療で週1回病院へ通った。母親から距離を置き、近所の噂話から解放されたことで、気持ちが楽になった。
サザンオールスターズのコンサートをきっかけに男性と交際
しかし、兄嫁だけは相変わらずだった。
「転院させて本当に良かったのか、悩んで苦しんで、自分のためにこれで良かったのだと、やっと自分を納得させていたのに、本当に憎らしいと思いました。でも私には、兄嫁と喧嘩できるほどの気力も残ってはいませんでした」
転院してから母親は、薬が合ったのか、環境が良かったのか、パーキンソン病の症状は良くなっていった。天気の良い日は車椅子で散歩したり、近くのショッピングセンターでランチをしたり、特に体調が良いときは、一時帰宅もできた。
白石さんは離婚後、若い頃から好きだったサザンオールスターズのライブチケットを初めて申し込んだところ、奇跡的に電話が繋がり、ライブに行くことができた。それがきっかけで仲間ができ、6歳下の男性との付き合いが2年ほど続いていた。彼を母親に初めて会わせたのも、この病院に移ってからだった。
穏やかに2005年が終わり、2006年が始まると、突然病院から電話がかかってきた。母親が取り乱し、「すぐに娘を呼んで!」と言っているという。パート中だった白石さんは上司に事情を話し、病院へ急いだ。
だが、病院へ着いた頃には母親は落ち着き、自分が呼んだことさえ忘れている。
しかしその日以降、白石さんは毎日のように母親から呼びつけられ、パートを早退する日が続く。白石さんが悩んでいると、仲の良いパートの先輩が声をかけてくれた。
先輩は白石さんの話を聞くと、「そんなにしんどいなら、パートを辞めて、彼と暮らしたら?」と言う。白石さんはびっくりして、「近所の目もあるし、実家を離れるのは母に申し訳ない」と首を振ると、「何言ってるの! 病院にいるお母さんには黙っていればわからないわよ! もっと自分のことを大切にしなさい!」と説得。背中を押された白石さんは、2006年4月、パートを辞め、彼と暮らし始めた。
数日後、母親が「何でパート辞めたんや?」と訊ねるので、驚いた白石さんは、「しょっちゅう病院から呼び出されて、迷惑をかけるから辞めた」と正直に言うと、母親は「そんな簡単に辞めたらアカンやん! 家にもいてないみたいやし。あんたがどこに行ったかわからなくて、心配したんよ」と言った。近所の人が白石さんのパート先や家を確認し、わざわざ母親の病院まで知らせに来ていたのだった。
彼と暮らし始めて、心に余裕が生まれた白石さんは、再びパートを始める。
母親はパーキンソン病による認知症が進んでいたが、最期まで白石さんのことは分かっていたし、一緒に病院へ来るようになったのちの夫のことも、「娘婿」と呼んでいた。