日本とアメリカの「学力」に関する考え方の違い
スティグラーは、日本の高い学力が、主に教育に対する信念と先生たちの教え方によってもたらされていると考えています。まず、教育に対する信念について説明しましょう。日本では、学力を決める要素としてより重要なのは、才能よりも努力だと一般に考えられています。
一方アメリカでは、努力よりも才能だとされています。このような信念の違いは、子どもたちの行動の違いとなって現れます。例えば、あなたがテストで悪い点を取ったとしましょう。もし、学力を決める要素として、才能よりも努力のほうが重要だと信じているなら、あなたはテスト結果を自分の努力不足として解釈します。
こう解釈した場合、あなたは次回のテストに周到な準備をして臨むでしょう。一方、もしあなたが、学力を決める要素として、努力よりも才能のほうが重要だと信じているなら、テストの結果を才能の欠如として解釈します。
そうすると、次のテストに向けて周到な準備をするという行動にはつながりにくいでしょう。このように、努力が重要だという信念は、学力を高めるために意味のある行動につながるのです。
圧倒的に「発見・思考型」の問題を扱っていた日本の教育
次に、先生たちの教え方について説明しましょう。
スティグラーは中学校の数学の授業をビデオによって記録・観察し、日本の先生たちの教え方がアメリカやドイツと異なっていることを発見しました。スティグラーは、日本の先生たちが、より多くの時間を子どもたちに与え、数学の別解(別の解答法)について発表させていることを報告しています。
別解を考えることは物事を別の角度から見る訓練ですので、これは発見的・思考的な課題と言えます。図表1aは、別解についての発表が含まれていた授業の割合(総授業数に対する)を示しています。
日本はこの割合が42%であるのに対し、アメリカとドイツはそれぞれ8%と14%でした。同様にスティグラーは、日本の先生が子どもたちに、単純な練習・応用問題よりも、発見・思考型の問題を与える傾向にあることを報告しています。
図表1bは子どもたちに与えられた課題のうち、どれだけが発見・思考型問題であったのかを示しています。
日本は、発見・思考型が44%であったのに対し、アメリカとドイツはそれぞれ1%と4%でした。日本の学校教育はしばしば、創造性を育まないからダメだと言われますが、スティグラーが実際にきちんと調査をしてみると、発見・思考型の課題が使われていて、創造性を育む教育が行われていました。
さらに、スティグラーは授業の質についての評価も行っています。彼は「高度な数学の習得が目標とされているか、目標達成のために適切な授業方法・内容となっているか」という基準で評価しています。