グローバル・スタンダードは世界的なルールと思われがちですが、アメリカが自国に都合よく形成していただけです。45年前もそう。ニクソンは、「アメリカの戦闘機を買え」と言ったかと思えば「日本はもっと自主防衛に力を入れるべきだ」と平気で方針を変えた。その都度、日本は振り回されてきました。

——日米関係は当時からなにも変わっていないということですか?

安倍さんはトランプと対等な関係だとメディアを通してアピールしていましたが、戦後、日本とアメリカが対等だった時代なんて一度もありません。

『ロッキード』を出した小説家の真山仁さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
ロッキード』を出した小説家の真山仁さん

もちろんアメリカは表向きには対等の立場だと強調しますが、「交渉」とは名ばかりで「命令」し、無理難題を押しつけてくるわけですから。

その最たる例が、年次改革要望書です。1993年の宮沢・クリントンの日米首脳会談で、日米が互いの要望を伝える文書を交換するようになりました。アメリカからの要望に従い、日本は郵政民営化や裁判員裁判、労働者派遣法改正などを実現してきました。反面、日本の要望がアメリカに認められたことはありません。90年代でもそんな状況だったのです。

日本は都合のいい相手

ましてや、60代、70年代は、日本のあちこちに米軍基地があり、GHQの匂いがまだ色濃く残っていました。日米が対等な関係だったわけがありません。日本は、国際社会で生き延びるため、アメリカに追従していくしかなかった。アメリカにとっては、いまも昔も日本は従順で便利な国、絶対に手放したくはない都合のいい相手なのです。

ここで立ち止まって考えなければならないのは、日本はアメリカと対等な関係になった方がよいのかどうか、です。

もしも対等になるのなら、世界的な立場が変わります。アジアのなかの日本という立場を打ち出して中国と友好関係を築くか、島国の先進国同士としてイギリスと独自のつながりを持つか……。どちらも現実的な選択とは言えませんし、いまそれを実現できる政治家がいるとも思えない。

バブル崩壊で一変したアメリカとの距離感

——日本の首相とアメリカ大統領が対等な関係をアピールするのは80年代の中曽根総理時代からですね。

きっかけとなったのが、レーガンとの「ロン・ヤス」関係などのパフォーマンスです。ただ安倍さんと違うのは、中曽根さんは寄り合い所帯の小派閥の出身だったからアメリカになにか要求されても、実現する力がなかった。

中曽根さんは私が大学生だった82年に総理大臣に就任しました。90年代くらいまでは総理大臣は、大きく2つのタイプに分けられました。国を豊かにする政策を優先させるタイプと、国防を重視するタイプ。中曽根さんは後者でした。