堂々と逃げ道を歩くこと
中学三年生の時、「白衣を着て実験がしてみたい」というたったそれだけの理由で、(本当にたったそれだけの理由で)理系の高校に進学した。ド文系だった私はもちろん高校の勉強についていけず、高校一年目にしていとも簡単に留年の危機に陥った。私の輝くべき十五歳の青春は、等加速度直線運動と物質量のmol計算に食い殺されてしまった。
このままでは留年してしまう。そう思った私は、ある一つの解決策を見出した。転校である。
県内でも有数の進学校から地方の普通科高校への転校で、「落ちこぼれ」や「都落ち」など皮肉めいた言葉もたくさんかけられたが、実際にそのとおりなので何も言い返せなかった。周りが当たり前にできていることをできない自分が情けなかった。当時の私はこの自身の転校を「未来への前進」ではなく「現状からの逃避」と認識していたからだ。
十年以上経った今、私はあの時の自分を、よくやった! と褒めてやりたい。もちろん、逃げ続けるのは良くないことだ。私だってできることなら、等加速度直線運動の織りなすグラフをサーファーよろしく乗りこなしたかったし、水の分子量やmolの質量をダイソーの計量カップで測れるような人間になりたかった。でも、できなかったのだ。
できないことをできないまま生きていくことは、そんなに悪いことなんだろうか? と大人になった今、強く思う。私にできないことは、できる誰かがやればいい。そのためにこの地球には七十五億もの人間が存在しているのだ。
目の前にそびえたつ高い壁を登りきらなきゃ次のステージに進めないなんて、ゼルダの伝説じゃありえない話だ。秘密の三角マークで壁を動かしたり、道具を使って未来にワープだってできる。
私達は、私達が思うよりももっともっと、逃げ道を選んだっていいと思うのだ。道端に咲く花の蜜でも吸いながら、堂々と逃げ道を歩いてやったって。