“五輪の恥、日本の恥、世界の恥”として長く記憶されることになるだろう森喜朗という男のどこに、周囲を怯ませる“凄み”があるのだろう。
2000年4月、小渕恵三首相が脳梗塞で倒れたため、当時、自民党のドンといわれていた青木幹雄、野中広務、村上正邦ら5人(森も入っていた)が密室で、後継を森に決めてしまった。
たしかに小渕政権で幹事長をしていたが、放言や暴言が多く、首相の器ではないといわれていた。国民にとってはまさに青天の霹靂ではあったが、青木や野中にとっては、「神輿は軽いほうがいい」、自分たちの思い通りになる人間を据えておいて、裏で操るという思惑だったのであろう。
それが証拠に、村上は後年、週刊ポスト(2018年8/17・24日号)で、「森は戦後歴代最低の総理大臣」だとして、総理にしたのは間違いだったと話している。
数々の失言、「えひめ丸」事故対応が問題に
案の定、「ノミの心臓、サメの脳みそ」と揶揄された森は本領を発揮して、わずか1年という短命政権で終わった。
森を辞任に追い込んだのは、数々の失言や暴言もそうだが、2001年2月に起きた「えひめ丸」事故だった。ハワイ沖を航行していた日本の高校生の練習船が、アメリカ海軍の原子力潜水艦に衝突され、日本人9人が死亡した。
森はその日、大好きなゴルフをやっていたが、すぐに連絡が入った。だが彼はすぐにプレーを中止せず、その後もプレーを続けた。この危機管理意識のなさが国民の怒りをかき立て、支持率8%、不支持率82%という前代未聞の世論調査の数字が出て、退陣に追い込まれるのである。
政界、外交、スポーツ界に幅広い人脈
森が今のような力を持つのは、首相の座を追われてからのことだ。
敗戦後、数多く首相はいるが、職を辞してからも表立って活動する人間はほとんどいない。田中角栄や竹下登など、引退後も力を持ち続けた元首相はいるが、奥の院に引き籠って影響力を行使した。
しかし森は、退陣後も派閥「清和会」の事実上のトップとして君臨し続け、小泉純一郎を首相にし、小泉は就任後も森を兄貴分として慕ったという。安倍晋三、福田康夫なども清和会出身である。
政界だけではなく、在任中に日本の首相としては初めてアフリカを訪問し、アフリカに太い人脈がある。
ロシアのプーチン大統領との仲は良く知られている。安倍首相(当時)がプーチン宛ての親書を森に託し、森が密かに訪ロしたこともあった。