「本気」の実業団選手は多くない中、成長続ける3選手

箱根駅伝常連校では選手の4分の1ほどが大学卒業後も競技を続けたいと考えている。なおニューイヤー駅伝に出場できるのは37チーム。本格強化している実業団は男子だけで50社ほどある。1チーム10~15人ほどの選手を抱えているので、競技を中心に活動している実業団ランナーは約600人いる計算だ。一般業務をしっかりこなしているチームもあるが、実態は「プロ」(競技に集中できるという意味)に近いかたちが多い。

結果が振るわなくても給料が下がることはなく、引退後も正社員として会社に残ることができるため、実業団でなんとなく競技を続けている選手は少なくない。一方で、箱根駅伝を“卒業”した後、さらに輝きを増している選手もいる。

なかでも強く印象に残っているのが、佐藤悠基(SGホールディングス・34歳)、大迫傑(Nike・29歳)、服部勇馬(トヨタ自動車・27歳)の3人だ。彼らは大学時代からスター的存在だったが、メディアに踊らされることなく、在学中から「世界」で戦うことを意識してきた。

雨の中練習するマラソンチーム
写真=iStock.com/Pavel1964
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佐藤悠基は、中学時代から各世代の記録を塗り替え、東海大時代には箱根駅伝で3年連続の区間新記録を樹立。大学卒業後は日本選手権10000mで4連覇を達成すると、ロンドン五輪(12年)やモスクワ世界選手権(13年)に出場した。

34歳になった現在も日本トップクラスの実力をキープ。昨年12月の日本選手権10000mはサードベストの27分41秒84で7位に入ると、今年のニューイヤー駅伝は最長4区で中村匠吾(富士通・28歳)、井上大仁(三菱重工・28歳)らを抑えて区間賞を獲得した。日本長距離界の“走る伝説”になりつつある佐藤は、以前こんなことを言っていた。

安定した給料をもらいコーチから言われたメニューをこなすだけ

「学生時代は箱根駅伝というとてつもないモチベーションがあって、ほとんどの選手がそこに向かっている。実業団でも、ニューイヤー駅伝がありますが、箱根ほどのモチベーションにはなりません。かといって、『世界』を本当に意識している選手は少ないと思います。実業団で成長できない選手は、そういうモチベーションの中で、コーチから言われたメニューをこなしているだけにしか見えない。自分が具体的にどこまで行きたいのか。ダメな選手は明確な目標がないんじゃないでしょうか」

佐藤の情熱は衰えておらず、現在はマラソンでの“ホームラン”を目指している。箱根駅伝で満足してしまうのか。それとも「世界」を見据えて、真摯に取り組むことができるか。その“差”が箱根後の人生を変えているのだ。

大迫傑は、1億円を2度もゲットするなど日本マラソン界で最も成功している。早大時代も目立つ存在だったが、当時はトラックのスピードを磨くことに注力してきた。特に4年時は箱根駅伝の距離(21km以上)にフォーカスするのではなく、11~12月もトラック種目(5000m、10000m)に向けたトレーニングを積んでいた。そのため最後の箱根は1区で終盤失速して区間5位に終わっている。

しかし、社会人1年目の2014年に3000mで日本記録を打ち立てると、翌年は5000mでも日本記録を樹立。2016年は日本選手権で5000mと10000mの2冠に輝き、両種目でリオ五輪に出場した。その後はマラソンで日本記録を2度も塗り替えて、東京五輪の男子マラソン代表にも内定している。

服部勇馬は東洋大時代に花の2区で連続区間賞を獲得しただけでなく、東京五輪から逆算してマラソンに挑戦した。大学4年時の東京(16年)は終盤にペースダウンして2時間11分46秒に終わったが、2018年の福岡国際で14年ぶりの日本人Vを達成。翌年のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で2位に入り、東京五輪の代表内定を確保した。