「置き勉する生徒は不良」というイメージ
西日本の公立小学校で教壇に立ち、中学生の子どもを持つDさんも、小中学校の置き勉チェックを「生徒指導の一部」としてとらえている。
「私の時代は、もちろん置き勉なんてダメでしたが、それでも置き勉をする子は、いわゆる不良と呼ばれている子たちでいた。置き勉する子どもは勉強しない子、勉強を放棄した子の象徴みたいなところがありました。そういう時代を生きていた私たちがいま教員として働いているわけです。もしかして、そういう個人の経験からくる昔の良くないイメージが影響しているのかもしれません」
勤務する小学校及び他校でも、置き勉をOKにしているが「わざわざ勧めることまではしていないのが現状」だとDさんは話す。
「学校ってただ単に、教科書を教えているところだなと感じます。教科書がいちばん立派で、正しくて、全てであるというイメージです。他にもさまざまな学びの材料はあるのに、教科書一辺倒になりがちです。そんな教育システムも、置き勉問題に影響しているように思います」
Dさんは母親の立場からも、通学荷物の重さがわが子に与える負担を懸念する。
「中学生は教科書の一冊一冊がとても分厚い。それに加えて、大きな水筒と弁当、部活動の荷物があるわけです。そうなると、リュックは、小学校低学年の子をひとり背負っているぐらいの重さになります。体への負担はかなりのものではないでしょうか。生徒指導の一環として、置き勉を禁止にするなんて時代遅れだと感じます。何を優先すべきか、現場の先生たちで話し合ってほしい」
以上、置き勉問題の背景にある主な要素をまとめると、中学校では「生徒指導」の一環、小学校では「忘れ物をしないトレーニング」という流れがみられた。ともに、学校側が児童生徒を試すような動機づけがありそうだ。
置き勉を禁止する必要はない
話を聞いた教師たちはいずれも置き勉を許可していたが、彼らが勤務するいくつかの学校や周りの学校の多くが原則的に置き勉を禁止にしていた。そして、現場の教師からは「文科省から『置き勉』を認める通知が出ていることは知らなかった」という声が多かった。
冒頭の小学校教諭Aさんは、子どもたちに与える体への負担のみならず、心理的な負荷も訴える。
「大量の教科書が与えているのは、身体的な苦痛だと皆さんおっしゃいますが、僕は学びの重苦しさもあると思う。我慢とか、重いものって、ポジティブなメッセージになりませんよね。例えば、いきなり赤ちゃんに辞書を読ませないように、学ぶものを小出しにしていく必要があるのですが、あれだけ重さも厚さもある教科書は、学びにネガティブな印象を抱かせてしまう」
教科書、地図帳、辞書、上履き、体操服、絵の具、習字道具。子どもたちはたくさんの荷物を持って通学する。「忘れ物をしないトレーニング」として置き勉をさせたくない教員の気持ちもわかるが、わざわざすべての教科書を持ち帰らせる必要はないだろう。
教科書のデジタル化を待つのではなく、「昔から学校では当たり前のルール」をぜひ見直してほしい。