「親を見捨てて、さぞやいい気分だろうね」と泣き叫ぶ親を棄てたい

ケース2:
78歳母親の連日の鬼電に「着信拒否し、母を棄てたい」48歳女性

一方、埼玉県に住む悦子さん(仮名・48歳・自営業)はこう嘆く。

「ウチの母(78歳)は、私の弟にばかり愛情を注ぎ、姉である私はずっと差別をされてきました。私の出産の時も母に『オマエは嫁に行った人間だから』と里帰りを拒否され、子育て中も助けてもらうことは皆無でした。それなのに、自分が要介護状態(介護度は要介護1)になった途端、弟に無視されたらしく、私にすり寄って来たんですよ。施設入居どころか、ヘルパーさんが家に入るのも断固拒否なもので、仕方なく週2日、私が遠方の実家(茨城県)へ通っていたんですが、このコロナで行くに行けず。その間は狂ったように、毎日、何回も電話をかけてきます。しかも『オマエは親を見捨てて、さぞやいい気分だろうね』って泣き叫ばれるので、着信拒否にしたいくらいです。正直、もう母を棄てたいです……」

祖母
写真=iStock.com/Nayomiee
※写真はイメージです
ケース3:
介護施設の職員に暴力ふるい退去させられた83歳の父を引き取る56歳女性

神奈川県に夫と子供とともに住む真由美さん(仮名・56歳・パートタイマー)は父親のことで困っている。83歳の父親は現在介護施設に入所している。

「もともと横柄でDV気質の人でしたが、認知症が進み、自宅(同県内)で看ていた母(80歳)が音を上げたので、父を高齢者施設に入所させたんです。でも、このコロナ禍で面会禁止。私も母も逆にヤレヤレと思っていたんです。ところが、施設から『(職員に暴力をふるい)集団生活には困難なのでお引き取り願いたい』と言われてしまって。まさか、追い出されるとは思っていませんでしたが、あんな父親、引き取りたくありません! それでも、父の面倒を看ないといけませんか?」

親には恩もあるが、怨もある。だから介護は難しい

筆者は先日『親の介護をはじめる人へ 伝えておきたい10のこと』(ダイヤモンド社)を上梓した。その中にも書いたが、介護がしんどくなる理由のひとつに、介護する側の複雑な葛藤がある。介護を受ける側、する側の間柄が夫婦や親子という肉親であるためだ。

介護者から見ると、その思いは「恩と怨」の間で激しく揺れるように感じている。

要介護という事態を招いたのは、親のせいではない。好きで老いる人はいないし、好んで不自由になる人もいない。ましてや家族としての情はあるし、その対象が親であれば、ふつうは産み育ててもらったという“恩”を感じるだろう。

しかし、介護する者にも自分の家庭や仕事がある。なおかつ、上で紹介したエピソードのように自身の育てられ方に疑問を持っている場合だと、心情的にも介護は非常に厳しいものになりがちだ。

その他にも、介護者が疲れ果ててしまう要因には次のようなものが挙げられる。

1 いつまで頑張ればいいのか、ゴールが見えない
2 兄弟姉妹がいた場合、役割分担がうまくいかずに不平等感に苛まれる
3 失禁、おむつ替え、移乗、通院付き添いなどの時間的・肉体的負担が重過ぎる
4 親の妄想、暴言、繰り言などにより、こちらのメンタルがおかしくなる
5 介護や医療に関係する費用がどんどん増えていく

介護は長期間になりやすく、しかも孤独に陥りやすい。

ひどい場合には「親の死を願う」ことも稀ではないが、それは単純に「介護生活からの解放」を願っているだけである。筆者はその思いに罪悪感を持つ必要はないと考えている。なぜならば「恩と怨」の狭間で揺れ動きながらも、その人は結局、介護をやり続けているからだ。