「ここではないどこかへ行きたい」つらい気持ちが生きる力に

——角野さんと同じ世界的な児童文学者であるジュディス・カーさんの自伝的映画『ヒトラーに盗られたうさぎ』を見ました。ナチスの迫害を逃れて移民として欧州各地を転々とし、先の見えない日々を送る主人公の少女アンナ(ジュディスさんがモデル)は、本や物語に触れることで心を守っているようでした。同じく戦時下で少女時代を送られた角野さんは、不安に覆われた世の中で、物語が果たす役割をどう考えていますか?

【角野】よく戦争と例える人がいるけど、このコロナ禍とは全然違うと思う。戦時中はまず食べ物がありませんでした。これは悲惨です。それに、戦争は明らかに対するものがありますよね。でもコロナは目に見えないものを相手にしなければならない。

(『ヒトラーに盗られたうさぎ』の主人公の少女)アンナは本を読み、絵を描くことが好きな女の子で、そこに心の開放を感じたのだろという印象を持ちました。「ここではないどこかへ行きたい」と思う気持ちは、きっと人より大きかったと思うの。子供時代の私にもそういうところがありました。

戦争の抑圧の中で、彼女はそのような気持ちをどんどん育んでいった。物語を読む、絵を描くということが想像力を育て、生きる力になっていったのでしょう。のちに絵本作家として花開くことになります。

私も集団疎開の時、冷たい雪がしみるわら靴で、学校に通うという暮らしは子供ながらにつらかった。つらい時に「ここではないどこかへ行きたい」という気持ちは誰しも持つと思うけど、幼い時は余計にそう。現実的にそれが無理だということは、子供なりに分かっているわけだけど。

本がなくても、「どこかへ行きたい」と空想することは、心の中に物語を作っていくことですよね。言い換えれば旅に出かけるということ、それが心の中の旅でも。「旅」と「物語」ってものすごくよく似ている。旅も本も、扉を開けて違う世界に連れて行ってくれますよね。そこには何に出会うかわからないわくわく感がありますね。

仕事を辞めたいと思ったことはない

——今年で作家生活50年。今まで、仕事を辞めたいと思ったことは?

【角野】ないです。私はこの仕事が相当好きですね。もちろん、編集者からチェックが入ることもありますよ。でも私、直すのも嫌じゃないの。指摘してくれるのは、私の作品が気になるから。私はもう新人ではないから、気にならなかったら「これでいいですよ」と言われると思うの。だから指摘してくれたときは、「この人は私の作品を愛してるんだ」と思っちゃう。愛の言葉だと思うのよ。