3週間居残って支援することに

現在であれば、危機管理の先遣隊は復旧計画を本部に指示して、戻ってくる。だが、阪神淡路大震災の当時はそこまで役割分担が明確にはなっていなかった。先遣隊も現地に居残って、復旧を手助けしたのである。しかも、住友電工の工場近辺はインフラも破壊されており、彼らは夜中に大阪まで戻り、ダイハツの寮に泊まったこともあった。結局、先遣隊とはいいながら、友山たちは3週間も伊丹市で、支援活動を行った。むろん、3枚の下着では持たなかったから、飲み水の残った水で軽く手洗いして、しのいだのである。

友山の話。

――南八さんから「友山は焼結品(金属やセラミックスの粉末を成形し焼き固めたもの)のラインを元に戻せ」と指示されたので、ひとりで工場へ行き、先方の方々と一緒に力仕事もやりました。焼結品の炉は壊れていなかったけれど、プレス機が倒れていたので、それを復旧し、ラインを元通りにしました。

プレス機
写真=iStock.com/Ivan-balvan
※写真はイメージです

ただ、困ったのが焼結用の金型がないことでした。金型を保管してある倉庫の2階が今にも崩れそうで、300種類はある金型を取り出すことができない。2階の床が崩落しかけていたから、工場長が立ち入り禁止にしたんです。

仕方なく僕らは完成在庫を調べ、金型さえ取り出せたら、すぐにラインを動かし足りないものから作る準備をしていました。

そのうち他メーカーの人間がやってきて…

そこで戦いが起きました。生産の順番です。同社はトヨタの部品だけを作っていたわけじゃない。他のメーカーの人間もやってきて、部品はどうなっているんだと聞かれるわけです。ただ、彼らは支援に来たわけじゃない。焼結品がなくては車は作れませんから。

あるメーカーの人間は僕に向かって、「おい、あんた、うちのを先に作ってくれ」と言うわけです。作業着で真っ黒になって働いていたから、住友電工の人間と思ったんでしょうね。

なかにはこんなのもいました。

「キミ、倉庫にある金型持って来てくれ。うちの協力工場で作らせるから」

さすがに頭に来ました。まだ若かったしね。「お前ら、金型は会社の宝だ! 渡すことはできない」と怒鳴って……。

「あんた、誰?」と聞かれたから、「オレか、オレはトヨタの友山だ」と。向こうはポカーンとしてましたね。なんで、トヨタの人間がここで働いているんだ、と。