人工呼吸器の生産を断った理由
新型コロナ危機のさなか、政府はトヨタに「部品でもよいので人工呼吸器を作れないか」と打診した。政府の人間の頭にはアメリカのGMが人工呼吸器を作ったという事例があったのだろう。
だが、トヨタは「それはやめておきます」といったん返事をする。
「人の命にかかわることですから、ノウハウもないものにチャレンジして、かえってご迷惑をかけると大変です」
しかし、まったく協力しないわけにはいかない。
「ただし、現在、生産しているところへ行って、品質を上げる、量がたくさん出るようにすることはできます」
そこで、生産調査部は他社も参加した混成チームを編成し、医療向け電子機器メーカー日本光電の富岡生産センタ(群馬県)へ出かけて行った。チームはトヨタ、デンソー、東海理化の3社から8人が参加。4月の末から7月の中旬まで、断続的に指導した。
主査の牛島信宏が先遣隊として現地に入ったのは4月22日のことだった。
「光栄だしありがたい。だけど……」
さて、トヨタ混成チームが支援する日本光電の富岡生産センタもまた、社会の緊急ニーズにこたえて増産準備を進めていた。
ただし、同生産センタは支援チームに感謝しながらも、当時は直面する問題を処理することに大わらわだったのである。
彼らが直面した事態とは施設内で新型コロナに感染した人間が出て、工場自体を2週間(4月1日から12日)、閉鎖しなければならないことだった。
医療現場がもっとも人工呼吸器を欲しかった大事な時期に2週間、生産ができなかった。そのため、日本光電富岡の責任者、真柄睦はジレンマに陥っていたのだった。
「トヨタさんに来ていただくのは光栄だしありがたいことです。特に当社はトヨタ生産方式を導入して勉強していたところでしたから、ご本尊の方々に指導していただく機会はめったにないことだと思いました。しかし、工場を2週間閉めていた直後にいらしたので、指導を受ける余裕はないのではないかと案じました」
牛島はその時、真柄を安心させることにした。
「私たちは人工呼吸器に関しては素人です。しかし、生産性向上、増産に関してはプロです。ですから、できる限りやります。また、自動車も人の命を預かる機械です。必ずお役に立つことができます」
そう言うと、現場の何人かはうなずいた。誰だって、人工呼吸器を増産して、医療現場のために役に立ちたいと思っている。彼らがうなずいたのは、もっともなことだった。