DVをする男性たちは一見してそうは見えない

私自身が、加害者臨床の中で一貫して向き合ってきたのが男性の「加害者性」です。加害者性とは、他者を意識的、無意識的にせよ傷つけてしまう人間の内面にある攻撃性を指しています。これは誰もが内面化している特性で、特に力の強い者(立場)から弱い者(立場)へ表出しやすいといえます。その典型例がDVなのです。

そして、この男性の加害者性を支えている価値観が日本社会に根強く残っている「男尊女卑」です。すべてのDVは、根底に男尊女卑的な思考パターンがあります。男尊女卑とは、男性を尊ぶべき存在として社会の上位に置き、女性を下位に置くことです。上にいる者が下にいる者を支配する構図となり、女性は多くの不自由や不利益を強いられています。その結果として大きなひずみをはらんでいるのが、現代の日本社会です。

パートナーに暴力を振るう男性たちは、一見“それっぽく”は見えません。外面はやさしげで礼儀正しく、人当たりがいい。暴力とは無縁というイメージです。なのに、パートナーを殴ったり蹴ったり、言葉で罵ったり、経済的に追い詰めたり、交友関係を制限するのです。また、避妊に協力しない、大切なものを破壊する、子どもを殴っている姿を妻にあえて見せるなどの間接的暴力も含まれ、DVのバリエーションは多岐にわたります。

「恐れ」から自己防衛するために暴力で心の安定を得る

では、彼らを暴力に駆り立てるものとは一体何なのでしょうか。

それは「恐れ」である、と私は考えています。

自分はパートナーのことを下に見ていたのに、彼女はそう思っていなかった。対等である、それどころかパートナーが自分のことを下に見ているかもしれない。彼女があからさまにそういう態度をとったわけではなく、彼らがそう感じたというだけかもしれません。しかしいったんそう感じてしまったなら、優位性によって担保されていた自尊心が揺らぎ、みずからの男性性を見失いそうになり、内面が恐れで満たされます。

そしてその恐れの感情を防衛する形で、暴力によってパートナーをおとしめ、支配し心の安定を得るのです。暴力を通してみずからの恐れの感情を否認し、優位性を取り戻そうとするプロセスが、DVの本質といえます。