「女性関係か。そっち方面の話か」

その彼女が、このほど『許すチカラ』(集英社)を上梓した。その中で、夫から不倫を打ち明けられたときのこと、なぜ自分が夫を許し、離婚しなかったのかについて、かなり赤裸々に書いている。

宮崎から、週刊文春に自分の不倫のことが出ると聞かされたのは、彼女が子どもを生んだその夜だった。

夜遅く病院へやってきた宮崎は、「顔が青白く、生気がまったくない」。彼女が心配して質問しても要領を得ない。そんなやり取りが2時間ぐらい続いた後、宮崎の口から、「じつは週刊誌に載ります」といわれたというのである。

その日の少し前から、週刊文春に不倫の件で尋ねられていたのだが、その日も文春から連絡があり、宮崎は東京へ戻って件の女性に電話をかけたそうだ。すべてを報道されると知った宮崎は、「終わった」と思い、病院へ入る前に「トラックに飛び込んで自殺しようとしたそうです」(『許すチカラ』)

夫が死のうとまで思い詰めているのに、妻のほうは、「そのときの私の率直な感想は、『ふうん、そうなんだ』というものでした」(同)と至極冷静である。

「そのとき私がもっとも恐れたのは、金銭問題や薬物問題といった刑法に抵触することでした。(中略)意外に思われるかもしれませんが、正直、私の場合は、『女性関係か。そっち方面の話か』という一種の安堵に近い感情でした」(同)

憲政史上初の「不倫で辞職」した国会議員になった

彼女は「隠さずに、あったことをすべて話して」といい、数時間にわたって一部始終を聞いたという。疲れ切った彼女が思ったのは、夫が私を裏切ったという怒りではなく、「議員としてなんてことをしてしまったのだ」という思いだったという。

このへんは議員夫婦という特殊な立場もあり、自分の進退にも関わってくるかもしれないと考えたのだろう。

精神的に不安定になっている夫をおいて、彼の秘書と報道後の打ち合わせをする。だが、辞職を決断したのは宮崎本人だったそうだ。記者会見に臨む前夜、入念にリハーサルをした。会見に向かう夫に、「洗いざらい嘘偽りなく話しなさい。質問にはすべて回答しなさい」といって送り出したという。

その後宮崎は、辞職を承認される衆議院本会議にも出席した。憲政史上初の「不倫で辞職」した国会議員として後世に名を残したのである。

しかし、「宮崎は精神的にはいつも不安定で、目の離せない状況が続きました。(中略)ともすると議員宿舎から飛び降りるのではないかと心配になる様子のときもあったので、誰かが彼を見ていなければならない状況でした」(同)

それでも少しすると企業の経営コンサルタントの仕事を再開し、テレビにも2人で出るようになる。不倫で辞任した元議員と、それを支え続ける美人妻というのは、テレビにとって願ってもない利用価値のある存在であるはずだ。