ハンコのルーツは宗教との関係が深い
しかし、なぜハンコは無碍に捨てられないのだろう。ハンコに霊的な力が秘められているからか? 確かに、ハンコのルーツをたどれば宗教とも関係が深い。
そもそも、仏教教典の印刷自体がハンコのようなものである。ハンコの語源は「版行(版をつくって印刷すること)」だ。経文を板に鏡写しに彫って、紙に転写する。実は世界最古の印刷物は、称徳天皇によって奈良時代に手掛けられた「百万塔陀羅尼教」である。
7世紀以降は紀州・熊野三山をはじめ、東大寺、高野山などで牛王宝印と呼ばれる厄除けの護符が発行された。熊野の牛王宝印のデザインは、「八十八のカラス」がデザインされたもので中央に朱印(ハンコ)が押されている。台所に祀れば火災避けになり、病気の場合は近くに祀れば平癒につながるという万能のお守りとして今でも、多くの参拝客が買い求める。
諸説あるが、この牛王宝印は現在につながる御朱印の起源ともいわれている。御朱印は三宝印(仏・法・僧)などの印(ハンコ)が中央に押され、中央に本尊の分身が墨書されたもの。御朱印集めは、四国お遍路の整備などの影響によって、江戸時代に普及した。御朱印は、駅などに置かれているスタンプラリーのルーツでもある。
ハンコとともにポイ捨てしにくい名刺
以上のように「ハンコは宗教に起源をもつものだから処分しにくい」といえば、決してそうではあるまい。別の理由がありそうだ。
実はハンコと似たようなアイテムにも、類似の供養祭があり、併せて論じるとわかりやすい。例えば「名刺」である。
名刺はビジネスパーソンにとっては必携のアイテムである。相手と「交換」が生じるため、どんどん蓄積される。名刺は連絡先など相手の情報が詰まっているので、バッサリと捨ててしまうと必要な時に困ってしまう。
しかし、近年はクラウド上で管理する名刺アプリが普及しつつある。紙の名刺をひとたびデータ化すれば、元の名刺は不要になる。
合理的に考えれば、デジタル化によって手元に残った名刺は紙くず同然。がしかし、名刺もハンコと同様に、なかなか廃棄処分に踏み切れないアイテムだ。いや、捨てられないどころか、折り曲げたり、汚したりすることも憚られる不思議な存在が名刺である。