母親が家に閉じこもり、圭は弁護士資格を取得するためにニューヨークの大学に留学してしまうと、メディアの刃は秋篠宮家に向かった。

秋篠宮紀子さんは、職員たちに厳しい「ご難場」だ。学習院に行かせないからこんなことになる。秋篠宮と皇太子(当時)の確執などなど。

挙句に、ICUを卒業するにあたって、次女の佳子さんが出した、「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」という文書に対して、週刊新潮によると、「秋篠宮の御教育が間違っていませんか」「国民のことをまるで考えていない思慮の浅い言葉でした。悠仁様は、大丈夫なのか」というコメントがSNS上に並んだという。

数々の批判にも心折れず、初心を貫いた

この国の民の中には、メディアによって植え付けられた小室家像を無邪気に信じて、誹謗中傷まがいの匿名コメントを無責任に吐き出し、当事者たちの心情を斟酌しんしゃくしない者もいる。

かつて、子どもを授からない雅子妃(当時)を情け容赦なくバッシングした宮内庁の一部の人間や、その尻馬にのって囃し立てたメディアのことを思い出してほしい。

天皇以外の皇族は、やや制限はあるにしても、日本国憲法で保障されている基本的人権を有しているのだ。そのことを今一度思い起こすべきである。

私は、同じ文章の中で佳子さんが、「以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています」と、皇族としては珍しく痛烈なメディア批判をしているのを高く評価する。

これは、眞子さんの結婚問題や秋篠宮家に対するバッシング報道に対しての、見事なカウンターパンチであるとともに、メディアからの情報を疑うことなく信じてしまう国民に対して、強く反省を促すもので、皇室史に特筆されるべき貴重な発言だと思う。

口さがない国民からの批判や、結婚問題をきっかけに拗れ始めた両親との関係、外へ出れば無遠慮な世間の視線は、どんなに気丈な女性でも気後れしたり、心が折れそうになったりするものだが、眞子さんは初心を貫き、小室圭との結婚の意志を変えることがなかった。

愛とはかくも女性を強くするものだということを、身をもって教えてくれたのではないかと、私は思っている。