G7で製造業のシェア20%超は日本とドイツだけ

日本の製造業が国内総生産(GDP)に占める割合は今も20%を超え、政府の白書によれば、2010代後半における製造業の付加価値生産額はざっと110兆円ぐらいでした。つまり、500兆円ちょっとのGDPの20%強です。主要先進7カ国(G7)の中で製造業のシェアが20%を超えているのは日本とドイツだけです。

確かに、製造業の就業人口は平成の30年間に約1500万人から約1000万人に減りましたが、付加価値生産額はこの30年間もほぼ100兆円超を保っているわけです。つまり、日本の製造業は平成期に、就業人口を3分の2に減らしているのに付加価値生産額はだいたい維持しているのですから、割り算をすれば、付加価値生産性は約1.5倍に増えたことになります。

東京大学大学院の藤本隆宏教授。
撮影=プレジデントオンライン編集部
東京大学大学院の藤本隆宏教授。

日本の付加価値生産性について、もう少し計算してみましょう。非製造業を含む産業全体でみますと、就業人口は約6700万人でGDPは533兆円(2019年度、実質)ですから、一人当たりの付加価値生産額は800万円ぐらいです。

一方、製造業をみると、政府統計では約1000万人で約110兆円ですから、付加価値生産額は約1100万円になります。日本の製造業の付加価値生産性は全産業平均のそれよりも4割近く高いことが簡単な計算でわかります。これが、平成期の苦境を乗り切ってきた日本の製造業の今の平均的な実力です。

日本の製造業は30年で半分に減ったが、半分は残った

——平成の30年間といえば、グローバル化とデジタル化が同時に進行した時代です。この2つの潮流の中で、競争力が乏しかった製造業は衰退したかもしれませんが、この間に競争力を増した製造業も多かったということですね。

【藤本】平成が始まり冷戦が終わった直後の1990年代初め、日本の隣国である中国は、新人の月額工場賃金が1万円、つまり日本の20分の1という低賃金人口大国として、いわば突然、世界市場に参入してきました。賃金ハンデが急に20倍ですから、当然、多くの貿易財産業がコスト競争力を失い、苦戦しました。

それに加えて、偶然同時期に起こった、パソコンやインターネットによる第1期のデジタル情報革命で、情報家電機器などは、製品アーキテクチャつまり製品設計思想が急速にオープン・モジュラー型(標準部品を多く含む寄せ集め型)になり、また半導体や液晶も製造設備が標準化したモジュラー型工程アーキテクチャとなったため、調整集約的なアナログ製品では強かった日本の家電・エレクトロニクス産業などは、多くが国際競争力を失い、日本国内から中国などに生産拠点を大量移動させざるをえませんでした。

一方、高性能・低燃費自動車のように複雑な擦り合わせ型の設計思想をもつ製品群は、設計品質や製造品質により差別化が可能であり、日本企業や国内工場は、比較優位を維持しました。実際、日本の自動車産業は、国内生産が1000万台前後、うち輸出が500万台前後という国内体制を、一時的な異常時を除けば1980年代からほぼ40年、維持してきました。またこの間に海外生産は2000万台近くになり、日本の自動車企業が世界市場の30%近くのシェアを維持し、競争力を維持してきました。

日本の製造業全体においても、30年間で徐々に状況が変わってきました。まず、2005年ごろから中国の賃金が5年で2倍ぐらいのペースで上昇し始めました。

また、中国への生産拠点の移動がかなり一方的かつ大規模に進んだ米国とは異なり、日本の製造業、特に地域に根差す工場や中小中堅企業は、グローバルコスト競争の逆境に中でも、日本の国内で何とか生き残る執念を持ち、トヨタ生産方式的な生産革新などで物的生産性を大幅に高め、国際競争力のある製品を一部に残した「戦うマザー工場」として多くがしぶとく残ったと言えます。

日本の製造企業は平成の30年でほぼ半分に減ったと「ものづくり白書」にはありますが、逆に言えば、約半分は残ったのです。(続く)

(聞き手・構成=安井孝之)
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