BMWの正規ディーラーである国際興業・月寒営業所所長の上野剛嗣さんはまだ34歳。営業エリアの中心は札幌。後輪駆動車を主力とするBMWにとって積雪地帯は不利なはずなのだが、上野さんは2004年に年間45台を売り上げて東日本地区でトップになった。

写真中央が国際興業・月寒営業所所長の上野剛嗣さん。2004年に東日本地区のトップセールスになった。写真右の宮下裕康さん、左の古谷峰士さんは、上野さんが頼もしく思う部下の代表だ。
写真中央が国際興業・月寒営業所所長の上野剛嗣さん。2004年に東日本地区のトップセールスになった。写真右の宮下裕康さん、左の古谷峰士さんは、上野さんが頼もしく思う部下の代表だ。

そんな上野さんの営業デビューは意外と遅い。1992年に高校を卒業して同社に入社した後、01年まで在庫の管理や新車の登録などを担当する業務畑に在籍。それから26歳にして初めて営業の現場に出たのだ。

しかし、当時の先輩営業マンは“一匹狼”ばかり。営業のイロハすら教えてくれず、すぐ売り上げゼロに。そこで上野さんは「車を売ることは諦め、まずお客さまのためになることに徹してみよう」と腹をくくる。そして、引き継いでいた50件ほどの顧客に車の調子を確認したり、家族構成を聞いて回った。

次に、どんなカーライフを期待しているのかを考え、次の訪問時には最適と思われる車の情報を提供していった。顧客が希望する車種があっても、ライフプランに合わなければ、率直にその情報も盛り込んだ。「そこまで行って初めて自分の仲間だと感じてもらえ、車も売れる」と上野さんは語る。

メキメキと営業の腕を上げていった上野さんが副所長に昇格し、年上を含め8名の部下を抱えたのは05年、30歳のとき。しかし、そこでも壁に直面した。「自分にできたことが、どうしてできないのか不思議で仕方がない。次第に部下に対する不信感が募っていき、俺がやらなければと思い込み始めた」と上野さんはいう。

そんな“オレオレ度”の高まりとともに、上野さんの部下の扱いは荒くなっていく。納車に必要な書類の回収・整理をさせるなど、自分の営業のアシスタント的な役割にとどめることが多くなったのだ。とにかく支店の目標を達成させようと上野さんは、文字通り朝から晩まで働き続けた。

そして、結婚をして「これで家庭が守れるのか」と考え始めたときに転機が訪れる。知人から「君の年齢で責任者になれたのは、周りの人に恵まれ、支えられてきたからだ。だったら、これから後半の人生は人のために捧げたらどうか。それができないのなら辞めたほうがいい」と諭されたのだ。